監査役BLOG

会社を見る鳥の目

経営者の目線で、日々の思いやできごとを綴っていきます。

[会社運営]

[社会]

バンカー

 経営者の話題で優れた経営者は誰かという話題になることがあります。 経済誌でも取り上げられる話題で、創業者や企業再生を果たした人、そして巨万の富を稼いだ人が話題になります。

創業者ではユニクロの柳井さん、創業と企業再生では京セラの稲盛さん、そして稼いだ人は私は関心がないので知りませんが村上ファンドの村上さんあたりでしょうか。 e-commerceの創業者の方々も稼いだという意味では該当するかもしれません。

私も零細企業の経営に従事し、お金を稼ぐことに熱意はありますが、残念ながらe-commerceの世界に関心は持てませんでした。

では私は誰を優れた経営者としてイメージするかといえば写真の西川善文氏です。 ザ・ラストバンカーを読んだだけでご本人について書かれた書籍は多くありませんし、読んでもいませんので知っているというのはおこがましいです。 しかしバンカーとしてイメージされる人は少なく、金融業界にあって最高の敬称であると思います。 ましてザ・ラストバンカー(唯一の最後の銀行家)のタイトルをつけられる人は世界を見ても稀有な存在と思います。

その西川氏が亡くなられ、日本経済新聞には西川氏をしのぶ記事が掲載されました。

TV受信機を持たない身の私が最近TVで放映された半沢直樹を大変興味深く見ました。 この番組の視聴率の高さはキャスティング、演劇として単純な振り付けによる解りやすさ=好悪と善悪をだぶらせたような筋書きでしょうか。 しかし冷静に見るとバンカーとしての銀行員の理想の姿が描かれ、原作者が元行員であることから高いリアリティを示しています。

いずれ時が経ち、『ザ・ラストバンカー』がドラマ化される時が来て、最高の脚本、キャスティングで不朽の名作に仕上がり、ドラマで学ぶ経営に仕上がことを期待しています。 最初に半沢直樹が評判になったとき、行員と話をしていて皆話題にしました。 本が読まれなくなって経営の勉強もドラマが教科書になってきています。 日本の金融業に従事する人が高い職業意識をもって日本経済に貢献することを願います。

 

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[価値観]

移住

 仕事に忙殺され、経営責任に押しつぶされようとしていた時期がありました。 そして一段落したとき田舎暮らしをしたいと思うようになりました。

自分の趣味を振り返り、登山、カヌー、オートバイのツーリングと自然に浸り、あえて不便を求めるものばかりでした。 山登りをしていた時に多くの人からその魅力について質問を受けました。 自分が納得のゆく答えを出せなかったように思います。 あえて自分の足であえて歩きにくいコースをたどり、不便を承知でテントに泊まり、そこまでしなければ味わえない自然の核心に触れる魅力はあると思います。

オートバイであれば基本的に道路を走るわけですから車で行けば寒暖の苦痛から逃れられ、雨もしのげます。 どちらもより無防備に自然に触れ、不便を味わうということでしょうか。 なんと表現してもぴったりくるものではありません。

田舎暮らしもはじめはそれに近い意味で、近隣に民家のないところで可能な限り自給自足しなければならないものを考えていましたが、年齢を重ね考えが変わってきました。 不便は困るが国内で大阪から遠いところ、今まであまり縁のなかったところで行きついたのが秋田県でした。

写真は崩壊しかけたブロック塀の注意書きですが、『危ない』ではなく『あぶね』になっています。

危険な場所にはこの看板が張っています。 言いたかったのは田舎暮らしの醍醐味は文化の違いを実感できる、冒険できるところが多くあることになってきました。

今回は短期間の滞在で秋田弁がどのようなものか解りませんが、年配の秋田県人同士の会話はほぼ理解できません。 秋田で生まれ育った人でも理解できない時が多いといわれ方言は残っているのだと感心しました。

不便を楽しむという点ではスーパーマーケットも市役所もすべて近くなり大阪に住んでいた時より便利になりました。

買い物の選択肢は少なく、目的をもって買い物に行って悩むことはありません。 市で一番大きそうなスポーツ用品店で硬式テニスのラケットを扱っていません。 必要ならネットで買えば不便はありません。

冬にはスキーもしようと思い安比など有名スキー場が日帰りで行けますが、地元のスキーツアーは北海道に行くそうです。 贅沢な話です。

家にいて配信されたメールを読み、日経新聞電子版を読むと半日が経過します。 その間は大阪も秋田もなく過ぎます。 疲れてTVのスイッチを入れると東北の天気予報をやっていて居場所を認識します。

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[プライベート]

表現

 最近知り合いになった人に私が67歳の誕生日を迎えたとき「年齢を重ねると今ま出来たことが出来なくなってくる、あなたには実感できないだろう」と言いました。

その人はすでに56歳、しかし元気で元々スポーツを熱心にしていて身のこなしも軽く、まだ老化を意識しないでいる人です。

瞬間にかえってきた答えが「実感できなくとも想像できる」というものでした。 私が同じ問いを周りの人に発したとして予想できる答えは次のようなものです。 もし会社の人や取引先の人であれば『いやいや、まだまだお元気じゃないですか』、関係が薄い人であれば『元気そうに見えるけど』、『そうなんですか』になります。

最初の答は私が老化で困っていることを無視して元気づけようとしています。 私は別に励ましてほしいわけではなく、老化に落ち込んでいるわけではなく理解して欲しかったのです。 相手は老化を意識していない年齢で10年年上の私と話をしています。 私が実感と言ったのは感じられ共感する意味です。 老化を感じるものか思い知るものかは別として、老化を意識しない年齢の人には考えたことのないテーマですが、その人の周りには老化がテーマの人はいるはずです。 例えば両親の顔の皺、祖父母の立ち居振る舞いなど見ているはずです。 高齢者を見たことのない人はいないでしょう。 だから想像できるのです。

『想像できる』と聞いた瞬間にコミュニケーションが成り立ったことを実感しました。 私が『実感』という言葉に慰めや励ましを求めていないことを瞬時に認識し、『想像できる』と答え、私は私の気持ちを理解されたと感じました。

もし私が30年未来からやってきて深夜のコンビニの前に座ってタバコを吸って漫画を読んでいる金色頭の若者に『俺は30年の未来からやってきた』と話しかけたとします。 そして相手の若者が漫画の読みすぎで30年の未来からやってきたことを信じた時のリアクションはどうでしょう。 まず実感はないでしょう。 想像できるとは考えられません。

『想像できる』とは、もしくはここで言うコミュニケーションが成り立つことはどのような意味があるのか?

老化のやり取りで「まだまだこれからですよ」は無難な外交辞令、その人が悔いはなくとも辛い仕事を長期にやり切りほっとしていたらもっと辛い思いをしろととられるかもしれません。 外交辞令は相手の意図がわからないときの最大公約数の無難な答えです。 それはあなたとこのテーマで深いコミュニケーションを取らず、距離を置きますよと宣言しているようなものです。

相手の意図を察知して深いコミュニケーションを図ろうとすれば言葉の解釈からもめてしまう場合が多く、外交辞令は発達します。 10歳年下の人は10年後の老化について深い知見を得られるかもしれませんし、金色頭の若者は自分の生き方を変えるきっかけになるかも知れません。 10年後の自分も30年後の世の中も異次元の世界です。 同次元の人と知識・情報が自分の成長や展開に与える影響は大変小さく、保守的になる傾向があります。 そもそも異次元を想像しないわけですから。

 

 

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[会社運営]

緊張感

 日本経済新聞電子版に「経営者のブログ」というコラムがあり、私より高齢の経営者の活躍されている話がアップされています。 元気をもらい自分も頑張ろうという気持ちはわかず、いつまでも仕事に集中されている姿に自分とは異次元の印象を持ちます。

私の仕事の一つに採用面接があります。 応募者の自己紹介を聞いていると眠くなってきます。 普通の自己紹介でびっくりするような話は出てきません。 一渉り自己紹介が終われば履歴事項について質問します。 質問は履歴事項で不審に思ったり一貫性の無さ等について行います。 質疑の中ですぐに応募者の本質が見えてきます。 本人が隠していること、たまたま本人が意識していなかったことが解りだすと質問をつなげ、心証を明確にしていきます。

このプロセスが面白く、たまたま疲れていたり眠かったりもしくは頭痛がしたりしていてもすべて消えてしまいます。 特に本人への心証が求める人材に近いものであることが解れば嬉しさから興奮状態に陥ります。

日本経済新聞にブログがアップされるような経営者は優れた経営者で、私のように怠惰でなく何時も緊張感をもって仕事に取り組み成果を上げておられると思います。 私は時々スイッチが入るタイプでスイッチが入らなければ眠くなってきます。

もしいつもスイッチが入った状態なら頭は疲れ切ってしまうでしょう。 しかしスイッチが入ると私程度の経営者でもいろいろビジョンが湧き出てきて、ひょっとして私は天才経営者かと瞬間うぬぼれます。 年齢と伴にオン・オフが明確になってきて、オフの時は何もできず、眠い時間が続きます。

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[他業界]

権力集団

 開業医が加入する医師国民健康保険組合でゼネリック使用率は16都道府県平均で60%を切っているそうです。 ちなみに全業種平均は2019年9月で74.9%、診療報酬改定時に医師会は調剤報酬の圧縮を主張します。 一方で高額の先発薬を自らは使用する構図です。

健康保険に関わるコストの上昇や総額は莫大で、国としては少しでも減らしたいところです。 減らす方法はいくらでもあり、減らせば誰かの収入が減ります。

例えば花粉症の抗アレルギー剤を保険適応した価格で処方箋なく市販できれば花粉症の人は市販薬を買い、時間節約できますがその都度診察を受け処方箋を出してもらい調剤薬局で待つ必要がなくなります。 花粉症の人が薬を必要とするたびに受診しなくても済み、クリニックの待ち時間は減ります。

その様な薬剤は数多くあり、スイッチOTCとして薬局で販売されています。 処方箋指示薬を新たにスイッチさせるときに医師会は反対します。

仕方なく処方箋欲しさに受診し、出来るだけ多くの処方を出してもらいます。 一般的に受診すれば診療報酬の負担割合は3割ですが4割にしてはと思います。 理由は少しでも受益者が負担するべきと考えており、安易な受診を減らすことが出来、日々の健康に留意するようになります。

健康保険制度を守り維持してゆく上で利害の整理は必要です。

 

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[価値観]

かしこい人、あほな人

 友人の一人から電話がかかってきて、『最近ブログ書いてへんやろ』とおしかりを受けました。 私のブログは当社を応募する人がどのような会社が理解するうえでホームページ以外の本音の会社を知ってもらうためのものです。 決して同年男性友人=おっさんに読んでほしいと思っていません。

言われたからではありませんが、書くことにしました。 タイトルにあるようにここで言う『かしこい人、あほな人』は言うまでもなく学校の勉強が出来たとか難しい国家資格を取得した人とかいろいろなことを知っている教養人を指してはいません。 社会人として貢献を果たす人をかしこい人、社会を騒がせたり話題を投げかけはするが何の貢献も果たさない人をあほな人と決めて話を進めます。

会社の中の話題に限定すれば社会は会社と読み替えればよく、少しでも、そして直接・間接であっても会社に貢献するかで判断します。

かしこい人は気づきが優れています。 ある組織で問題になっていることを多くの幹部が気付いているのに気づかない人はあほな人です。 同じ情報に触れ、誰とでも話が出来る環境にいて気が付かない人がいて不思議に思う事があります。 特にマイナス貢献する人は自分の事に気付いていない人です。 自分が出来ることが仕事のすべてであるかのごとくふるまう人で、ある種の事に特技を持っていますがそれだけの人でそれを振り回すことで仕事が出来たと信じている人です。 業績を見て自分が振り回したことが貢献したかどうかは一目瞭然であるのに気が付かないのか気が付かないふりをしているのか解りません。 特に大きな会社でそれなりにその特技だけで評価されてきた人は頭の固さが完璧です。

ある人は専門知識を持っているだけにこまごま気が付き、現場に負荷をかける仕事を作っていきます。 これもマイナス貢献をする典型で貢献なき作業を増やす人です。

会社はこのようなマイナス貢献の人が数人いるだけで大きな損失を出します。 簡単にやめさせられない、頭が固いから説得できない、字医師過剰だから周りに自分の考えを披露し、ゆがんだ判断を植え付けるなど細かなマイナスをまき散らします。 ことわざの『悪貨は良貨を駆逐する』の典型となります。

最近知り合ったトラックのドライバーの人は天才的な気ずきを示します。 トラックを運転していて大阪市内で2車走っていてよく出会うとの事、混雑する大阪市内を走行していて同じ会社のトラックに出会う確率はかなり低く、走行していて運転席から入る情報は多いのにその中で瞬時に特定情報を見つけることが出来るというものです。

学生時代はあるスポーツで日本トップクラスの選手だったそうです。 スポーツでも会社でも気づく力は有益で、職業として刑事など向いているのかもしれません。

気付いたことを分析して組み立てる力はスポーツで言えば相手の癖を瞬時に見抜き先手を打つなど勝利に繋がります。

貢献に寄与するこれらの能力を仕事やお金儲け、人間関係で生かすことが出来ますが、そこには価値観が作用します。 先程会社に貢献しない人の例を出しましたが、彼らが頭の固いのは自らの価値観を変えると自らの貢献の無さを認めるからにほかなりません。

先程のトラックの運転手の人はその能力をお金儲けに生かそうと思わなかったのでトラックを運転しています。 お金儲けをしたいとその人が思えばおそらく大きく儲けて社会に大きく貢献していたことでしょう。

 

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[人間関係]

視座

 自分が様々な人と知り合い、親しくお付き合いいただきまたは知り合って以降全く関心が湧かずそれきりだったり、しばらく付き合って途切れてしまったりします。

アドラーの心理学で尊敬の定義が『唯一無二の人格であることを認識することを尊敬という』(正確な言葉ではありませんが)、尊敬することはその人と人となりが判ることと理解しました。

翻って自分の交友関係を見直してみた時、この人はこういう人であると思いきやそうではなかった時、付き合う事をやめています。 また思った通りの人であったとして、関心が湧かなかった場合もお付き合いしません。 特別変わった考えを持つ人に関心を寄せることも一時期ありましたが、最近はそうではありません。

自分の人生に真摯に向合い、考え努力している人でそれぞれの人生は自分から見れば大変な苦労と努力をしているように感じられる人です。 それがパン屋さんであったり事務職の人であったり、トラックの運転手であったりします。

その様な人と仕事の話をしているととても魅力があり、引き込まれ長時間話し込んでしまいます。 一方組織に組み込まれ多くのスキルを駆使して書類を作っている人、国家資格をもとに横柄な態度で仕事をしている人、それが有名大学出身で一流企業に長年いた人や、医師でも弁護士でもほとんどつまらない人に感じるのはなぜか不思議でした。

意思が疾患の特定で苦慮することや弁護士がある事件でどのような展開をするのか、関心のある話題は尽きないはずなのですが。 実際話をしてみるとほとんどスキルの話、医者であればオペの方法、弁護士であればどの法律で戦うか、組織の人間であれば所属する組織の意志決定の方法などすべて知識・情報の話です。

確定された知識や手法はその使用方法が正しければ機能を果たします。 私にすればそれはレゴのようなもの、組み合わせれば無限に近い可能性を示します。 例えばレゴでサッカーボールを作ることが出来るでしょうが、そのボールでサッカーは出来ません。

いつも携帯で検索して情報を蓄積している人がいます。 ネット環境が無い時代ならTVをよく見て朝の挨拶はその日のトピックス、組織人なら日経新聞の一面記事からその日の話題はスタートします。

それがそれぞれの生きるお作法、伝統的な仕事や社会や人間関係には向いていますがイノベーティブではありません。 私も最近はお作法のしがらみの中で退屈な日常を過ごしています。

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[未分類]

臆病は伝染する

 言葉通りの事は誰しも経験していることだと思います。 この言葉の続きに『・・・そして勇気も伝染する。 そして尊敬も伝染する。』というものです。

山登りをしていた時、厳冬期の乗鞍岳の頂上直下、10メートルほどの青氷の氷壁が立ちふさがりました。 氷壁のサイドは百メートル以上の谷で壁面は氷で覆われています。 装備は購入したばかりの氷壁用アイゼンとスキーのストックでアイスパイルやアックスはもってきていません。

二人出来ていてパートナーは関西で有名な岩登りを得意とする山岳会で会長をしていた猛者、さっさと先行し、上から声をかけてきました。 『慎重に登ってこい』、こんなところで命を掛けたくないのですが天の声は『だいじょうぶ』、何が大丈夫やねんと思いながらアイゼンを氷壁に思いっきり蹴りつけると1~2ミリ刺さりました。 硬い氷なので深く刺さりません。 背中はぞわーとします。 手にしたストックをガツンと氷にたたきつけても刺さりません。

この時点で『もうダメ』と思いつつ上を見上げると怖い顔の先輩が見守ってくれています。 滑落の恐怖と自分のプライド、先輩の恐ろしさ、もう一人新人がいれば臆病は伝染しますが一人です。 先輩への恐れ、自分のプライド、考えていても仕方ない、ええいと次の一歩を踏み出し青氷の壁にアイゼンで立ちました。 あとは何も考えず、氷壁に蹴りこんでは一歩ずつ10メートルを登りました。

恐怖心は自ら作り出しているもの、勇気もそうでそのような心の葛藤とかかわりなく出来る事は出来、出来ない事は出来ません。 氷瀑用のアイゼンは氷壁を登るように作られていて、アイスアックスは体重を支えるよりバランスを保つもので理屈の上では問題なく登れるわけです。

登れるかどうか知らないものとしては恐怖心が先に立ちます。 腹を括れれば何でもない事、伝染するような心の迷いは自分一人の時は伝染しようもなく、一歩が踏み出せるかどうかです。

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[コミュニケーション]

論理の力

 最近親しくしている人にあまり論理的でない人がいます。 年齢は50歳代、波乱に満ちた人生を歩んでこられました。 色々な話題でお話しします。 私はどちらかと言えば理屈を言う方なので”理屈VS直感”、別に言い合いになるわけではないですが、『直観おそるべし!』で理屈の私はたじたじとなります。 レスポンスが速く、何か言いかけると瞬間に反応があります。 直観主体なので瞬間の判断、しかし思い返してみると発言内容はすべて整合していて和えで解説するならシンプルに組み立てられています。

心理学者のアドラーの考えを解説した本を読んでいて『我々は誰しも客観的な世界に住んでいるわけではなく自らが意味付けした主観的な世界に住んでいる』というくだりを思い出しました。 私の住んでいる世界と前出の人が住んでいる世界は異なり、私の住んでいる世界は理屈が飛び交い、現実の世界との接点を理屈を通して調整している、前出の人は自分の世界と現実の世界を直観を通じて調整している、直観の世界は自ら言葉として持たない概念も感じることが出来る、一方理屈の世界では言語化されていない概念は存在しないことになるので感じても無いものは無いことになる。

コロナウィルス蔓延で在宅勤務や三密を避けるためコミュニケーションはメールのやり取りなどに終始します。 メールは文字情報、理屈の世界です。 伝達内容が正確になる一方でニュアンスはどんどん伝わりにくくなります。 『俺は頭に来てんねん!』は faith to faith では表情や声色で表現できますがメールで指示するときに「頭に来ている」は書けないことです。

この程度は細やかな問題ですが、もう少しデリケートな問題ではどうでしょう。 携帯でのメールが使われるようになり絵文字が流行りました。 微妙なニュアンスを伝えるために使われたと思います。 ある人の業務連絡に必ず同じ絵文字が使われ、送信者のキャラを印象付けています。 絵文字をみればその人の顔が浮かび、その人の面前でメール文面が話されているように受信者は感じて、他者なら訝る話題も『そうなのか』と納得がいきます。 そこまでの人間関係が出来ていなければ意味をなさないでしょうが。

その業務連絡に出てくる単語の数は少なく、言葉の意味として伝えられる情報に限界がありますが、言葉以上の意味が込められた文章になります。 しかし業務の文章、正確な情報伝達という意味では好ましくないけれどそのような感性=直観主体の人たちに正確無比のビジネス文書で対処すると反感の嵐になります。 それが直感の恐ろしさ、早さ、伝染力、定型化されたビジネス文書による机上の空論は完膚なきまでに打ちのめされます。

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[人間関係]

共感と同調

 経験したことのないことが起こった時、決まっていないことを決めようとするとき、一番自己主張の強い人が常識的な提案をします。 常識的とは受け入れやすい意見で、それゆえその意見に『いいね!』が周りから連発されます。

それは同調であり、共感ではないと解説がありました。

では共感とは何か、共感とは『他者に寄り添う技術であり、態度・技術である限り身につけられるもの』と解説されています。

前出の経験したことのないことに対する常識的な意見は、皆が同調することを狙ったものですから同調者は自分の意見をもっているわけではありません。 追従しているだけです。 よく追従する人は自分の意見を持たなければ追従しやすくなりますし、同調されやすい考え方に磨きを掛けます。 つまりは同調するのもされるのも技術であり、共感と同様身に着けられるものです。

一方共感は他者の意見に寄り添うわけですから追従ではなく、その意見をわれとわが身に置き換え不都合がないか検証する事なので受け入れやすいかどうかではなく、その意見は本質的に正しいかどうかの判断になります。

同調と共感から話が始まり、追従者と本質を突いた意見に寄り添う人、そして受け入れやすい考えと根本的なことに根ざした意見と話題がねじれてしまいました。

せっかく同調と共感に焦点を合わせようとしても現実に照らし合わせれば追従者の不愉快な思い出、無能な自己主張者への敵意が頭をもたげたのがねじれの原因です。

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