[価値観]
祝辞
明日は入社二年目の営業職の社員の結婚式に招かれました。 最近ものぐさになり、社員の方と接する時間が少なく、その人のことをよく知らない社員が多くいます。
社歴が10年前後の人は社員数が少ない時代からおられるので何かと接点が多く、年賀状のやり取りから家族の顔まで覚えている人もいます。
一方、社歴の浅い人は人数が増えてから入社された方で、直属の上司もいて私が新人の人にあれこれ言ったり付き合ったりするとたとえプライベートであったとしてもいろいろ勘ぐる人も出てきます。
友人に『経営者は窮屈で、気楽に新人の社員と食事にも行き難い』とこぼすと『何を言っているんだ そんなことは常識じゃないか』とバカにされてしまいました。
だからものぐさ以外の理由でも社員の人と食事に行ったりしないようにしています。 結婚式に招いてくれた人はそんな訳でどのような人なのかあまりよくわかりません。
招待されたのは自分が会社の代表だから、会社の代表というのは船の航海士のようなもので、海図を見て座礁しないように進路を決める仕事をするものだと思っていて、船を走らす上でいろいろな役割を担う人が元気なのか、うまく仕事をこなしているのかなど気にしないようにしています。 それぞれ組織で動いているわけですから、そこの組織長がきちっと部下の管理をすればそれでよい事なのです。
経営者の仕事をどのように考えるかはその経営者次第、地位であるから権力がある、細かいことまで自分で決めるから社内の事は何でも知っている、偉い人であるなどいろいろな考えで経営が行われています。 ある程度の権限があるので当社でも多少大事にされますが、大したことはありません。 ただ懸命に自分の仕事をしているのでそのことを知っている人幹部の人は納得するまで質問してきます。
そのような人間が『目からうろこ』のような話ができるとは限りません。
しかし社会の常識で社員の結婚式に呼ばれると祝辞を頼まれてしまいます。 年をとって人に偉そうに『人生はこれこれだから、これからは精勤しろ』などと言う気は全くこれっぼっちもありません。 そもそも自分の子供に生き方として賢人の考え方を披歴したら『うざい』と言われてしまったのですから、まして他人ならどうでしょう。
自分の結婚式ではどうだったか、父親と仲人の言葉を紹介します。 父親は俳句が趣味で一句プレゼントしてくれました。 『荒海にこそ出で行きし蜜柑舟』、紀伊国屋文左衛門が嵐のときに蜜柑を和歌山から江戸に船便で運び、一儲けしたという故事に倣った句です。
この俳句に倣えばリスクテイクで巨利を得よ、と言うことになります。 父親は気の小さい人で大きな冒険などしない人でしたが、私が結婚後の人生でリスクを冒すたびにコンコンと説教をしました。
一方、仲人は『どこで咲いても花は花』、本人から解説は聞かなかったですが、自分の立ち位置で最善を尽くせということでしょうか。
会社である管理職が『自分が出来ない、または出来ていないことを人に=部下に指示できない』と言う発言がありました。 私はそうは思いません。 父親のように自分の価値観でない借り物の価値観を人に披歴するのはどうかと思いますが、少なくとも自分が信条としていて、たとえ出来なくても追及していることは人に勧めても良いと思っています。
では私の心情は『反省するより悔い改めよ』、キリスト教の言葉です。 私はクリスチャンでないのでこれを聞いて自分なりに解釈しました。 悔い改めなければ何も変わらないと。
しかし結婚式の祝辞には似合わない言葉です。 あれこれ悩んでしまって時間がたち、明日はどうしたものかと悩んでいます。