監査役BLOG

会社を見る鳥の目

経営者の目線で、日々の思いやできごとを綴っていきます。

[価値観]

祝辞

明日は入社二年目の営業職の社員の結婚式に招かれました。 最近ものぐさになり、社員の方と接する時間が少なく、その人のことをよく知らない社員が多くいます。

社歴が10年前後の人は社員数が少ない時代からおられるので何かと接点が多く、年賀状のやり取りから家族の顔まで覚えている人もいます。

一方、社歴の浅い人は人数が増えてから入社された方で、直属の上司もいて私が新人の人にあれこれ言ったり付き合ったりするとたとえプライベートであったとしてもいろいろ勘ぐる人も出てきます。

友人に『経営者は窮屈で、気楽に新人の社員と食事にも行き難い』とこぼすと『何を言っているんだ そんなことは常識じゃないか』とバカにされてしまいました。

だからものぐさ以外の理由でも社員の人と食事に行ったりしないようにしています。 結婚式に招いてくれた人はそんな訳でどのような人なのかあまりよくわかりません。

招待されたのは自分が会社の代表だから、会社の代表というのは船の航海士のようなもので、海図を見て座礁しないように進路を決める仕事をするものだと思っていて、船を走らす上でいろいろな役割を担う人が元気なのか、うまく仕事をこなしているのかなど気にしないようにしています。 それぞれ組織で動いているわけですから、そこの組織長がきちっと部下の管理をすればそれでよい事なのです。

経営者の仕事をどのように考えるかはその経営者次第、地位であるから権力がある、細かいことまで自分で決めるから社内の事は何でも知っている、偉い人であるなどいろいろな考えで経営が行われています。 ある程度の権限があるので当社でも多少大事にされますが、大したことはありません。 ただ懸命に自分の仕事をしているのでそのことを知っている人幹部の人は納得するまで質問してきます。

そのような人間が『目からうろこ』のような話ができるとは限りません。

しかし社会の常識で社員の結婚式に呼ばれると祝辞を頼まれてしまいます。 年をとって人に偉そうに『人生はこれこれだから、これからは精勤しろ』などと言う気は全くこれっぼっちもありません。 そもそも自分の子供に生き方として賢人の考え方を披歴したら『うざい』と言われてしまったのですから、まして他人ならどうでしょう。

自分の結婚式ではどうだったか、父親と仲人の言葉を紹介します。 父親は俳句が趣味で一句プレゼントしてくれました。 『荒海にこそ出で行きし蜜柑舟』、紀伊国屋文左衛門が嵐のときに蜜柑を和歌山から江戸に船便で運び、一儲けしたという故事に倣った句です。

この俳句に倣えばリスクテイクで巨利を得よ、と言うことになります。 父親は気の小さい人で大きな冒険などしない人でしたが、私が結婚後の人生でリスクを冒すたびにコンコンと説教をしました。

一方、仲人は『どこで咲いても花は花』、本人から解説は聞かなかったですが、自分の立ち位置で最善を尽くせということでしょうか。

会社である管理職が『自分が出来ない、または出来ていないことを人に=部下に指示できない』と言う発言がありました。 私はそうは思いません。 父親のように自分の価値観でない借り物の価値観を人に披歴するのはどうかと思いますが、少なくとも自分が信条としていて、たとえ出来なくても追及していることは人に勧めても良いと思っています。

では私の心情は『反省するより悔い改めよ』、キリスト教の言葉です。 私はクリスチャンでないのでこれを聞いて自分なりに解釈しました。 悔い改めなければ何も変わらないと。

しかし結婚式の祝辞には似合わない言葉です。 あれこれ悩んでしまって時間がたち、明日はどうしたものかと悩んでいます。

 

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[会社運営]

社風と常識

写真の猫の名は『シド』、娘が反対を押し切り飼いだしたのですが、昨日永眠しました。 このブログでも数多く写真を掲載し、問い合わせもいただきました。 冥福を祈ります。

(本文)
会社には社風というものがあります。 個性のようなものでしょうか、しかし組織は個人ではないので集団の性格になります。

社風も個性も基にあるのは価値観、あらわす言葉は「保守的」、「攻撃的」、「清廉」、「くせもの」いろいろあります。

社風に関しては理念やスローガンにその一端があるのではないでしょうか。 当社の場合ミッション『もっと元気に、もっと笑顔に、きっと感動』、ビジョン『働きたい会社ナンバーワン』です。 手前味噌ですが徐々に浸透してきています。 そしてこれらミッション・ビジョンが少なからず業績に貢献しているものと信じています。

しかし社風や個性はなかなか一言では語られるものではありません。 歴史の中で現代は価値観が多様化した時代と言えるように思います。 個人も会社など組織も価値観が多様な中で自らのもしくは自社の価値観を明確に持ち、組織においてはその価値観を良しとする人が集まってくるものです。

個人でも多様な価値観の中で同じ価値観でなくとも相手の価値観に共感できる人が人間関係を作って行くと思います。

そういう意味で社風も明確にしてゆくべきで、価値観の多様性の中では相いれない取引先も出てくるでしょう。 例えば当社は小売業、卸から仕入れた商品やサービスを販売するわけですが、低価格だけを売りにする卸との取引は長続きしませんでした。 もちろん市況に反して高値で卸す卸はそもそも取引が続きません。

社内での社風はミッション・ビジョンや戦略、教育、人事制度などにより職員が作り上げてゆくものですが、職員のみんなが納得しているわけではありません。

社内で常識であることが通じないことがあります。 意思決定において細かい事であれば戦略や社内ルール、過去の決定方法に従って大抵の事は自動的に決まって行きます。 少し自由度を広げれば選択肢は複数になるでしょう。 全く制約が無ければ無数の選択肢が出てきます。

全ての決定事項が必ず一つに決まり、誰も異議を挟まない会社はどこかでつまずくことになると思います。 取締役会で全員が賛成した事案は可決すべきでないといわれています。 しかし決定に関与する全員がそれぞれ自説を曲げなければいつまでも合理的な判断化できません。

程よい方向性、程よい社風はそれらに基づく常識がみんなに備わっていて、意思決定で紛糾することはそれほど多くないかもしれません。 もちろんこの常識が一人歩きすると融通の利かない発展性のない組織になってきます。

固定観念が出来上がってしまうと壊すのが大変です。 あれば楽な固定観念、社風も個性でもガンコなだけでは生きてゆくのが難しいのが多様性の世界、一方で多様性は明確な個性を求めるものだと思います。

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[会社運営]

会議

当社で複数部署をまたぐ会議は四種あります。 最初に会社法で規定される取締役会、一般に役員会と呼ばれ名前を聞かれたことがあるかたは多いと思いますが、議題や議事運営まで法律で定められています。

議事対象となる議題はたとえば重要な資産の売却などですが、そんな制約を気にしたことはありません。 株式会社は所有と経営が分離された組織、会社の所有者である株主の重要な資産にかかわる決定は十分な審議を経て会社の所有者である株主に損害を与えないようにしなければなりません。 もし不適切な資産譲渡により会社に損害を与えた場合、株主は訴訟により責任追及を行う事が出来ます。

実務として何をもって重要な資産家という基準が無く、会社規模に応じて常識的に決めるものとされています。

月次の決算が終わると決算結果の報告を行います。 これは業績報告会と呼んでいて、取締役と各組織長、経理担当者により構成されています。

企画会議は各組織が事業計画を達成するために課題は何か、課題を達成するために何をし、どのように持っていくのかを話し合う場です。 大きな金額でない資産の購入やリース、人事、組織内の役割分担等がこれに当たります。

以後に社員全員が参加する社員総会、会議というよりお祭りのようなものですが、直近半期の評価と次の半期や中長期の方針を発表します。 優秀者の表彰ののち宴会となります。

この四会議で気になる事があります。 皆の発言が解りにくい事、解り難いがゆえに決議を求められても判断がつかない、そこで発言の意味を質問することになります。 質問も下手、議事は何を決めようとし、何が疑問なのかわからなくなります。 我々は会議が下手で、うまくなることが必要と痛感しています。

昨日も企画会議かあり、ある管理職の人が組織内の現象を説明し、何をしてどのような改善があったか詳細な説明を行っています。 そしてその管理職のそれらの活動を通じてその組織のモラルや生産性が劇的に改善しています。 成果は出ているのです。

それを会議でなぜ討議するのか? その人の成果をほめるためなのか? 成果を上げる方法を会議のメンバーが知るためか?

それらの事も大切です。 しかし最初に正確な事実をメンバー全員が知ることです。 知るべき事実は何か、このケースで言えば本当に成果が上がったのか、どのような成果であったのか、それは理念に沿う成果なのか、その先に何を目指すのか等です。

その管理職は目標も基準も期限も胸の内、何時までに残業時間をいくらにするなどと明示すれば決めたことが一人歩きする懸念をもっているかのようです。 心情に訴えて人を動かすことは決して悪い事ではないと思います。 出来うるならば心情だけでなく、どうしたいのか、いつまでにしたいのか、方法は何か、それらをうまく決めることでその管理職の心情的努力や苦痛は減少するし、その人がいなくなってもある程度組織運営が自動的に出来るものだと思います。

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[生活]

復帰

昨日退院し、本日より仕事に復帰します。 一週間の入院は長期で、私の気分転換のサイクルとして旅行なども大体一週間です。

オペ後の経過も問題なく、痛みも出血も止まり、歯の喪失感と顔の腫れをのぞけば会長で、早速友人と外食しました。 今井という老舗うどん店で食事をしたら塩辛いことこの上なく、病院食がいかに塩分をコントロールしていたかよくわかりました。 最初に食べた薄味よりも退院後に食べた塩辛さが身に滲みました。

友人と繁華街に出かけ、『おれもボチボチ潮時か?』とまた弱気発言、すかさず友人は『ぜいたくを言うな! 社長と呼ばれそれなりに収入があって何で不満を言う』となぜか怒り。

少し違う、自分の基本的な考え方は責任をとれる範囲の生活をしたいということ、果たして自分に今の会社を切り盛りする能力があるのか? いつも悩むのはそのことである。 職員の安定雇用がかかっている。 彼らの生活を支える重圧は半端ではない。 もちろんどのように優秀な経営者でも雇用を守り続ける保証などない。 日本を代表する企業でも数年のうちに倒れることもあるし、その原因がトップの判断ミスや勇気ある決断ができないことによったりする。

今までの自分は経営幹部反対しようがこうと決めたことに疑問を持つことはなかったし、結果はそれなりに正解であった。 一番の正解は決めてから揺らがなかったこと、一度決断を表明して皆に反対され、一年待ったこともあるし、数年待ったこともあり、それでも判断決意を覆すことが無かった自分は経営者に向いているのではと思ったこともある。

もちろん自分の判断より優れた判断があったかもしれないし、それは解らない。 実験できるものではなく、一つの結果でしかないが、結果がすべての現実の経営の世界では判断前より経営状態が良くなったのであれば称賛に値する。

しかしどのような世界でもそうであるが、過去の成果は今の判断を有利にするものではない。 成功体験が誤った判断をするように過去も将来も関係ない、紳士過去の影響もうけるし将来に失敗や成功は引き継がれるのが意思決定、今まで何の躊躇もなく重要な決定を繰り返してきた自分が信じられない時がある。

一週間の入院後、退院して気力が充実し、よしやってやろうという気持ちが湧いてきました。

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[生活]

オペ

先ほど1時間かけた手術が終了しました。30分は麻酔の注射など事前準備と事後の縫合などです。間の30分は傷んだ差し歯を抜くのと過剰歯を抜くのとに費やされましたが、顎の骨にくっついていて鑿で歯と骨を砕くのに費やされました。
今麻酔が切れて痛みが強まっています。 しばらく辛くなりそうです。口腔外科の手術は木工の様な印象でした。

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[生活]

生まれて初めての入院

いよいよ今朝から入院です。 体を切り刻まれるのも怖いですが、禁煙は大変つらいものです。

たった一週間の入院ですが、読む本、髭剃り、タオルに着替え、そこそこの荷物になりました。

今回はぜいたくをして個室を選択、自分のいびきで周囲の人に迷惑をかけられないのが個室選択の理由ですが、いびきの原因が肥満にあります。

禁煙の辛さから菓子を食べ、70㎏の体重があっという間に4㎏増加し、情けないやら悔しいやらです。 70㎏に減量するのに3年ほどかかっており、その間食べ過ぎないよう腹八分を心掛け、毎日運動をしてきたのですが、極端なダイエットでなかったので時間がかかってしまいました。

極端なことをすれば3㎏はすぐに落ちるのでしょうが、退院後も地味なダイエットで時間をかけて体重を落とすことになります。 細めのスーツを買ったところなので、これが着られないと悔しさが倍増ですから少しだけ過激なダイエットをするかもしれません。

たかが歯茎の手術であってもいろいろな人に聞くと脳に近い場所、体の中心部の手術は危険がいっぱいとのこと、禁煙しなければ治りが悪いとか脅し文句はたくさん知っておられます。 検査も必要で、明日は異常値の出た心電図の再検査ですが、入院日数について必要日数が決められているのですから毎日何らかの用事があるはずで、本を読む暇があるかどうかわかりません。

術前は検査で忙しく、術後は回復のために安静にしていなければならないならやはり暇ではなさそうです。 おそらく命にかかわることはないはずなので退院後はまた報告いたします。

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[生活]

人は見た目を気にしすぎる

上顎の歯茎の中で膿がたまり、摘出手術をすることになりました。 差し歯の根元が傷んでいたようで、そこに過剰歯が潜んでいて、それも取り除くことになりました。

何の違和感もないのに歯茎から膿が出て、歯医者に相談に行ったら大変なことになりました。 何が大変かというと歯茎から膿を取り出すのに全身麻酔で入院1週間ということが大変です。 タバコは禁止、その病院はオペ対象患者は禁煙していないと即刻退院、オペ中止ということです。 禁煙開始はオペ日が決まった時から、1ヶ月も前から禁煙を宣告され、日々辛くこっそりタバコを吸っています。 紳士オペ日が近づき、それも叶わぬこととなりました。

大病院の口腔外科でのオペなのですが、口腔外科医はいわゆる歯科医、オペに際していろいろ検査を指定され、胸部レントゲンに異常な影、心電図異常、クレアチン値が高いなど多くの問題が発覚しました。

心電図以外は通常の健康診断でわかっていたことで、日常生活でまったく問題を感じていません。 より精密な検査を打診されましたが、この調子で検査を続けると次々治療項目が現れて立派な人に自慢できる病人になってしまいます。 そこで精密検査はお断りしました。 口腔外科医は『まあいいか』といった感じでオペの手続きをしてくれました。

人体は複雑で、体が皆同じように出来ているとは限りません。 出来損ないの部分もあり、それを気にしていたら生きてゆけませんというのが持論です。 別に異常がなければ放置すればよい、異常であれば治療すればよいと思っています。 元々体は強くはありませんが病気に縁遠く、日常生活はどちらかというと元気な方です。

しかし加齢とともに不具合は出てくるもの、一つ出てきたら様子を見て、検査をして日にちが立つといつの間にか何ともなくなります。 体はそんなものと思っています。

年齢相応に食べるものや運動に注意していますが、それ以上に健康であろうとしても何かおかしいと思います。 60歳なのに30歳にしか見えない女性とか健康食品の広告で登場しますし、筋肉の模型のような人が登場するスポーツジム、私の歳になれば健康であればよく、裸を売りにする年齢ではありません。 見た目も仮に40歳に見えようとすると無理があります。

私でも気持ちは若くいたいし見えたいと思っています。 『本西さんは若くて元気ですね、〇〇歳くらいですか?』の年齢が実年齢より高かった時には落胆しました。 ゴルフでドライバーショットが自分より若い人より飛ぶと無性にうれしくなります。

ゴルフはスコアを競うもので飛距離を競うものではありませんし、人生は心身ともに健康であることを良しとし、若く知的に見えることは得をすることがあっても目指すものではないと思います。

そこまで解っていてビタミンCを毎日飲んで肌の色つやを気にしている自分がいます。

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[会社運営]

企業風土

同じ業界で多くの事業会社が事業を営み、ある企業は多くの利益を出し、別の会社はそうでない事が起こります。 その違いを経営分析と称していろいろな角度から分析し、評価されています。 さらに業界横断的に共通項を取り出し、戦略、財務、権限移譲、効率化、立地など様々な要素で評価されます。

どれも正しいのでしょうが、普遍的に正しければ真似をすれば真似た会社の業績はよくなるはずです。 かつてトヨタの看板方式が評判になり、導入して成功したところ、そうでないところがあったようです。

看板方式のような手法や組織構造、権限移譲など真似できるものはたくさんあり、当社も同業他社のやり方を見学させてもらいました。 コンサルタントのアドバイスもうけました。 評価されている手法や仕組みが定着して期待された効果が発揮できるかどうか、最近それが組織の風土、文化に依存していると考えるようになりました。

当社でも仕事をしている場は8箇所に分散されていて、それぞれ組織単位として長がいて組織運営しています。 それぞれが微妙に違った考えを持っていて、細かいところでそれぞれ異なった文化をもっていると思います。 それぞれの組織長が持つ価値観で解釈されている当社の文化の違いということになるのでしょう。 それを無理やり統一しようとは考えていません。 しかし、勝手に統一されていくような強力な文化を作り上げたいと思っています。

優良企業においてこの現象を何度も目の当たりにしました。 その企業の周辺の職員、中心にいる職員、皆同様の考え方、行動様式をもっていました。 ある意味強い組織であり、共通の弱みを持っているのかと思います。 それは企業の個性で、それが無く皆バラバラであれば企業としての個性は無いに等しいと考えます。

組織は共通の土台を持っていて、その土台の上に個々人の価値観があると思います。 土台となるものを築くために二つの事を常に考えています。

一つはそうあって欲しい事、社歴や役職に関係なく意見を言う事、その事だけであればどこの会社も同様のことを考え、同様の事を掲げています。 それが徹底できるのは少なくとも上位者が会のものの言う事をきちっと聞くこと、言われた事を納得すればきちっと守る事、何かを発言し、実行して貢献を果たした人についてきちっと評価し、昇格・昇給に反映させることなど徹底は大変です。

経験の少ない人は自由な発想でいろいろなことを思い場合によっては発言しますが、役に立つことはそのうちわずか、場合によってはすでに考えていて実行に移す順番を待っているプランなどもあります。 それらを感心して聞き続けるのはそれなりに忍耐が必要ですし、経験があってもその貢献について予測しがたいこともあります。

組織の土台作りのもう一つはそれはやってもらっては困る事、を決めることです。 企業内でタブーを作ることです。 例えば上位者に調べれば判ることを事を聞くこと、先輩にこの商品の幅は何センチだったか、つい聞いてしまうことがあります。 私はこれを嫌い、調べて判ることを人に聞くものは成長しないなどと言っています。 これはタブーになります。

これには副作用があり、私に質問することを躊躇させます。 『ちょっと聞いてみたいがこれを聞いて叱られるかも』となってしまいます。 そこまで私自身は偏狭でないつもりですが、人によっては権威の確立に利用するかもしれません。 『私にそんなことを平気で聞くのか』と利用されてしまいます。 もちろん『そうあって欲しい』ということにも副作用がありますが。

 

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[社員教育]

カウンセラー

大企業と呼ばれる企業の人事の人と話をすると職員の自殺やうつ病の話題が出ます。 大きい組織固有の問題なのか、その風土に問題があるのかわかりませんが一定の数が発生するようです。

それらの事件をすべてパワーハライスメントや偶然の失敗の責任追及では説明がつかないのかと思います。

話は変わりますが、私の従兄弟が私の父の実家のお寺を継いでいて、先日偶然話す機会があり、世間話をしました。 話が上手い、従兄弟を前にして普段他人に言わないことを言ってしまう、人の話を黙って聞いてくれる、こちらが話したことに対しての意見は真剣で切り込まれているような緊迫感がある、これは会社のカウンセリングで使えないだろうかと思いました。

人は仕事をする上で上手くいくような考えがその人を支配して仕事が上手くいくように思います。 周りで見ているとその業務に関して天性の才能でもあるのかと思います。

その一方でどうにもその仕事に向いていないのではと思うほどうまく仕事がこなせない人がいます。 その間の人が殆どで、営業であれば仕事は取ってくるけど事務処理は全くダメとかです。

上手くいくことは上手くいく方法が良いとその人が思っているからで、例えば常日頃人間関係は大変重要と思っている人が営業職であれば、多くの取引先の人から良い評価を得られ、人間関係よりはっきり意見を言う事が正しいと考えていて、そもそも正しいことをうまく言い当てられないために正しくないことをふれて回る人は全くイケていない営業として批判されます。

直属の上司や周囲の人は当然その人の行為行動を正そうとします。 本人も営業であれば結果が伴っていないので『何とかしなくては』と思っているので注意されたことに従ってよい結果を出そうと努力します。 そのような指導が上手く行かないことも大変多く、最悪は教える側も教えられる側も意地になり、相互に固定観念のぶつかり合いになっていることがあります。

そして大抵の事は本人たちもどこかで気づいていて、気づいている事すら心の奥底にしまっています。 自分の部下を何とかしなければいけないのだけれど今まで散々教えてやったのに人の言う事を聞かない、といった場合、相手もその人の言う事を素直に聞けないほど心を固いからで覆っているのでしょう。

仕事の事ですから上手くいくこと行かぬことは損得の問題とも言えます。 いつでも心を柔軟にして他人が投げかける事をうまく取り込めば仕事は上手く行くし、人間関係も上手く行きます。 そうすることでその人の人格が磨かれて尊敬する人になるかは別問題ですが、ちょっとした勘違いから仕事が上手くいかず人間関係で手間取るのは価値のない苦労に思えます。

自ら考えを変え、行動を変えて良い成果を生むようになればきっと人格が磨かれ始めるでしょう。 他人に対して単に仕事が上手くいくだけではないアドバイスができるようになればさらに人格が磨かれます。

従兄弟の話に戻って、従兄弟と話をしていると自分が磨かれているように思える瞬間があるのです。 お寺というのは宗教の場、従兄弟は自らの宗派の教えに従って私に影響を与えているわけではありません。 自分の体験から出てくる考えで私に対峙しているのです。 考える時間は十分あるでしょうし、考える能力も十分あるでしよう。 だから十分自分を磨くことが出来たし、発する言葉は真剣そのものだったのでしょう。 そしてそれも従兄弟の性格がそうさせているのだと思います。

僧侶は生きている人を救うことが仕事ですからカウンセラーは宗派を超えた仕事ではないでしょうか?

 

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[価値観]

[生活]

モテない男

私は最近シンプルな生活を求めるようになりました。 シンプルライフは私がまだ若かったころにTVコマーシャルで使われた言葉で、当時は何の関心もなかったのですが、最近になってとても惹かれる言葉になってきました。

別にシンプルライフの厳密な定義があるわけではないのでしょうが、私なりの解釈はなるべく無駄をそぎ落とした生活という意味で使っています。 何よりも物を持たない、全く持たないわけにはゆきませんが、部屋はものがありません。 一人暮らしでは広すぎる賃貸マンションに住んでいて、衣類や趣味のものはとても少なく、部屋にモノがあふれていることはありません。

服を新しく買うならもっている服は同じ数だけ捨てるように心がけています。 従って服に関してはクローゼットはスカスカ、靴は底を張り替え、最長30年程度、底を4回張り替えている靴も含め11足、ビジネス用の革靴は4足、カジュアル2足、テニスシューズ2足、バイク用2足そしてゴルフシューズです。 本は図書館で借りるのでほとんどありません。 CDも40枚程度と持っているものがとにかく少ないです。 車は無く、必要ならレンタルで済まし、オートバイと自転車が1台、友達と呼べる人は3人、仕事の付き合いはほとんどしません。

シンプルライフのもう一つのスタイルはお金を使わない事、生活費としては月5万円程度で生活しています。 外食や酒席がないわけではありませんが殆どが会社の経費で賄います。 お金が余って仕方ないだろうという人もいますが、その分給料は減らしています。 普通に生活していて少し貯金ができる程度、それ以上お金を使う生活をすると無駄が増えるだけのように思います。

例えば仕事でゴルフに行くときはお茶は自分で空いたペットボトルに詰めてもってゆきます。 そこまでケチるならゴルフをしなければと思われるかもしれませんが、世俗の付き合いは最低限するようにしています。 クリーニングはスーツのみ、カッターシャツは自分で洗濯・アイロンかけをします。 外食はせず自炊ですが、安い食材を買って同じものを連続して食べます。 次の買い物では別の食材を買って連続して食べますので栄養が偏る心配は少ないと思います。

気晴らしはオートバイのツーリング、日帰りが殆ど、たまにロングツーリングに行くときはユースホステルなど安宿を多用します。

私の友人でお金を払って済ませられることは極力お金を使う人がいます。 貯金はありません。 貯金の必要性を感じていないのでしょう。 多くの人に愛されていて、誘われれば付き合いも悪くありません。

私は付き合いが悪く、暇であっても誘いを断ることが多くあります。 そもそもあまり誘われません。 先日も京都に職員3人と出向き、昼ごはんにファーストフードの店に入ろうとすると『京都まで来たのだから湯豆腐が食べたい』とのたまいます。 仕方なく南禅寺の近くで観光客向けの湯豆腐を食べましたがまあこんなものか、程度の印象で、これなら王将の餃子を食べたかったと思うほどです。

女性から見ると私は金払いが悪く、決して楽しい人ではないと思います。 それが目指す生き方なので仕方がありませんが、価値観に忠実であればヒンシュクを買います。 つまりは程度の差はあれ、モテない男の典型は自分だと思い知りました。 それでも今の価値観は大切にしたいと思います。 いずれの時に私のシンプルライフが見直され、女性にモテモテの人になるのを願いながら。

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