監査役BLOG

会社を見る鳥の目

経営者の目線で、日々の思いやできごとを綴っていきます。

[会社運営]

人事考課

 人事考課の季節がやってきました。 全従業員の夏の賞与と昇給の査定がこの時期は同時に行われます。 私は手続き上全従業員の査定を承認しなければなりません。

 個々人の日々の活動について解るわけがありません。 したがって各部署の責任者の裁定を見て、違和感のある人の理由を聞きます。 『AさんはBさんと同じ賞与ですね、Aさんは何度かトップ賞を取っているはずですが?』、『賞与対象期間の二人の売り上げ、稼いだ粗利はほぼ同じです。Aは人間関係に優れていてそれは月末の昇給査定で反映されます。』、もちろん賞与対象期間6か月の売り上げ、粗利の数値を出して説明してくれます。

 私がチェックするのは個々人の評価が正しいかではなく評価者が客観事実に基づき緻密に評価しているか、につきます。 個々の評価がいかに客観数値に基づいていても担当現場の違いもあり、正しい評価は明確な基準があっても『神のみぞ知る 』ことになるでしょう。

 私が頭を悩ますのは各部署の管理者です。 上位管理者の賞与、賃金は私が決めざるを得ません。 毎年全職員の年収一覧表を取り寄せ、相対評価をします。 これは労働の対価が何によって決まっているか、直感を磨いています。 年収ベースで何倍もの差がつく理由は何か、責任の重さ、使っている資格、世間の相場、知識・技術スキル、経験、労働に伴う苦痛、いろいろな要因で年収が決まっていることが解ります。

 取締役の場合、一番に責任の重さがあるでしょう。 それゆえ権限も大きく、権限を行使しているかどうか、権限を行使することは何らかの決定を下しているわけですから結果が現れます。 決定事項が少なければ担当業務は平和であったことになります。

 抱えている案件が多いから優先順位をつけ、業務処理を円滑に行い、現場にストレスを抱えていないか、平たく言えばうまく仕事をこなしているか、これは周辺部署の噂でわかります。 うまくこなせていなければ取締役の関与していることは重要性が高いので陰口が耳に入ってきます。

 しかし人気で評価するわけにもゆかず、陰口をたたかれた取締役の業務執行を観察します。 説明責任をうまく果たしているか、説明が下手であればいくら仕事をうまくこなしていてもクレームが出てきます。

 最近気になるのはパーフォーマンス、きちっと挨拶している、いつも笑顔である、相手の話を誠実そうに聞いている、激怒しない、わからないことでも意思を明確にする、私以外は具体的業務を執行しているわけですからここのパーフォーマンスは重要です。

 しかしこの部分は上手い、下手の明確なところ、世間話がうまいだけで好感度が上がります。 逆にこの部分のパーフォーマンスが悪いがゆえに有能でありながら人気のない人もいます。 個々の評価を重視しすぎることも口だけ取締役を重用することにつながります。

 取締役の評価項目は私の場合結構煩雑なものになります。 そこで一律の年収に決めました。 取締役の場合それ相応の年収ですからもっと年収を増やしてほしいというリクエストはありませんが、評価してほしいという希望は強くあります。 包括的に評価しているのですがこの部分でこれを成し遂げたから評価してほしいというものです。

 それを言い出したら各取締役は苦渋の選択を多くしていて、最善であるにもかかわらず悪く言われている人もいるので、全部を知ってそれを言うか、心情において理解しても人に言えない決定を下している人は腐ってしまうと思いました。

 仕事の中には日の当たるものとそうでないものがあり、取締役は組織単位の長で、部署の企画を行い、商談もこなし、業務が多様に過ぎるように思いました。

 先日の取締役会で取締役は何をしたいのか明確にしてほしい、何でもかんでも自分でやろうとするな、業務を分割して人に任せ、部下を信じ、部下を育ててほしいとお膳をひっくり返すようなことを言ってしまいました。

 会社が早々成熟期を迎え、保守的になって成長が止まるのは私は認容しがたたいことです。 みんなは理解しがたく、議論は盛り上がりを欠きましたが、さんざん考えてもそれが結論、各取締役が自分の仕事を分析整理し、何に注力するか決められなければ、つまりそういう文化を気づきたいなら私は会社にとって不要な人材と思いました。

 

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[社員教育]

人を育てる

 ある有能な管理職の人が標語書いて机の前に貼っていました。 五行ほどの言葉の最後の言葉に釘付けになりました。 『美しいものを見る』と書いていたのです。 釘付けになったのは他の言葉が気持ちを鼓舞するような言葉でしたが、この言葉を書いた意味が全く想像できませんでした。

 その人は多くの部下の話を聞き、適切なアドバイスをし、恨まれるような言葉も必要なら必ず 言います。 それは適切な管理職の行為、部下の職員は彼が話を聞いてくれるので言いたいほうだいを言い、彼はそれが愚痴であっても理不尽な要求であっても、正しいけどすぐに対処できないことでも言い訳することなく聞きます。

 それは必ず他に誰もいないところで行い、説明できない時は『一緒に頑張ってやりましょう』と励まし、相手は感動して最後に泣き出してしまうようなこともあるようです。 いつも笑顔で、前向きで、最後に感動するような結末を迎え、部下の成長を促します。 当社の理念、ミッションを地で行く人です。

 私にはとても真似の出来ることではありません。 人の話を聞くことに膨大なエネルギーを注ぎ、真剣に集中する姿は立派であるとか優れているとかでは形容しがたく、『神』の存在を予感するようだと言えば言いすぎでしょうか。 その人が美しいものを見る、ということをスローガンにしているのです。

 私が最近見た美しいものは奈良興福寺の仏像です。 阿修羅像は有名ですが、他にも素晴らしい仏像が数多く展示されていて、苦悩に満ちた表情、見るものを恫喝する恐ろし気な仏像、慈愛に満ちた表情、ごくごく普通の人の顔、優しがにじみ出ている仏、あらゆる感情を想起する顔が並び、たとえそれが苦悩に満ちたものでもそこいらにいる人の顔でも美しく見るものに語りかけます。

 ある管理職は意地悪な人であっても愚痴ばかり言う部下であっても皆善悪や好悪で判断せず、それぞれの人生が皆美しいものとして接しているのではと想像しました。 それで『美しいものを見る』意味が解けた気になりました。

 本人に真意を聞いたことはないですが、私の想像が強ち外れていないと確信しています。 人がどのようにしてそのような心境になれるのか、神秘であります。 話を何度か聞いてもらった部下は問題行動がなくなり、気持ちよく挨拶するようになり、仕事に励むようになります。 創世記のハリウッド映画で神をテーマにしたシーンのようです。 キリストに触れるものは病が瞬く間に治り、キリストを神として信仰する、そのシーンを彷彿とさせます。

 たいていの人は考える力があり、心の蟠りが解けると自分の職責において最善を尽くすようになります。 最善とは誰にも勝る生産性やパーフォーマンスという意味ではなくその人のその時持てる力を最大限発揮することです。 管理職として最善の方法を支持するのではなく、最善の自分を発揮できる、発揮する上で障害となる迷いなどを取り除くことにほかなりません。

 もし正しいことや効率的な方法を教え、教えられた人が素直に従えば効率が上がりますが、その人の成長ではありません。 自ら考え、自ら工夫する事が出来るようにその人の苦悩を取り去るので、『神』を予感すると言いました。

 そういう意味での『神様』は誰の心にも宿り、他の管理職の人でも同じシーンを感じたことがあります。 話題にした管理職は常に神が見え隠れする、そういう人なのです。

 神の見えざる手に着目すれば『よくできた人』と評されるかもしれません。 ずっと観察して管理職の部下指導という本が書けるかもしれません。 しかしその本は手法や現象を書くだけで神ではないのです。

 多くの人が『神』に憧れ、自らが神に近づくことを願います。 反れば権力欲や金銭欲との二人三脚、神は誰の心にも宿り、表に現れるのは邪念を捨て去った人にのみ現れてくるもののように思います。 そうして神が現れるとその人は他人への憎しみを捨て去ることができ、何事も望めば叶う素晴らしい人になります。 神は天から降臨するのではなく美しい人の心の奥から現れる、だから常に美しいもの、絵画や彫刻などに触れ、自らの心の美しさを保つ必要があるのかもしれません。

 

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[習慣]

繰り返す、上手くなる

 高脂血症になり、対策として食事量を減らし運動を心がけました。 食欲が旺盛で食べる量を減らすのは難しく、食事量が少ないとお腹が空いてチョコレートを食べたり、結局カロリーオーバーになってしまいます。

 運動は『自重トレーニング』の本を参考にし、腕立てや腹筋、背筋のトレーニングを心がけています。 昔は腹筋は100回を基本によくやっていましたが62歳の今は30回を二日に一回、それでもポッコリお腹に腹筋の形が出てきます。 高齢になっても筋肉量は鍛えると増えるという最近の学説が励みになりました。

 今更マッチョになっても仕方がないけどスーツが似合う体系、見た目にシャキッとしている立ち姿は失いたくありません。 風呂に入るときに裸の体を鏡に映して満足していますが、肝心の中性脂肪値は低下しません。  おそらく数値の改善に沿っていないことを懸命にしているか、減食を徹底していないのでしょう。 医者や栄養士の指導を得なければならないと思っています。

 しかし継続反復トレーニングは何らかの影響があるもの、経済音痴の私が日本経済新聞を毎日隅々まで読むと現代経済学の本を読んでも断片的に理解できるようになってきました。 つまりは継続は力なり、というところでしょうか。

 同様に継続反復練習していることに英会話があります。 私は中学から英語が極端に苦手で、今日に至っています。 ICレコーダーで反復練習するのですが、たまに英語圏の外国人に話しかけられてもコミュニケーションは成り立ちません。 最近二回の経験から言えば台湾人の学生と宿で話した時は 相手も英語が得意ではなく、ゆっくりなので話が少し通じましたが、込み入った会話には展開しませんでした。 次は電車の中で話しかけられた時、早口で意味が解らず相手のジェスチャーで理解しました。

 せめて英語くらいはと意地になっているのですが、リスニング量から言えば大したことはなく、練習しているとは言えません。 ある時、英会話の練習方法を変え、テキストを買わず、エアチェックした会話を反復して聞き、それを紙に書いて辞書を引き、翻訳することを始めました。 自分の程度に合ったテキストであれば上達につながるようです。

 どのようなことでも身に付けるには練習方法が合えば年齢、経験に かかわらず成果を上げることができるように思います。 試して、考え工夫する、工夫して反復練習をする、どこかに継続反復練習の極意を書いた本はないかと思います。 ほかにもオートバイのコーナリング、コーナーのうまい友人の後をついて走り、どのタイミングでシフトダウンし、体重を前か後かどちらにおいているのか見ながら走ったり、嫌いなカラオケで歌うことも何とかならないものかと思います。

 方法ばかりに拘りましたが、強く望むこと、圧倒的な反復回数、好きになるなど情意は味気ない反復練習の王道のような気がします。 

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[会社運営]

社員総会

昨夕社員社員全員が集い、業績報告と懇親会を兼ねた総会を開催しました。 当社の社員数は約140人、100人強が参加したと思います。

当社の事業所は10以上に分かれているので普段全く顔を合わさない人がいます。 それゆえ社員総会で初めましてということが起こります。 当初は事業場所ごとにかたまり、話をしてお酒を飲むのですが、最近雰囲気が変わってきて、同じ部門で別の店の人が一緒に飲んでいたり 、部門をまたいで話をして入りします。 この傾向は回を重ねるごとに顕著になってきました。

もちろん反りの合わない人もいますし、話が下手な人で一人で黙々と飲んで食べている人もいます。 同じ組織の人が初対面でも気楽に話し、連帯感を持つのが社員総会の一つの目的ですが、完全にはうまくゆきません。

この社員総会では初めの30分に幹部の業績説明や事業方針の発表があります。 私も毎回5分の時間が割り当てられて全体の評価や会社全体の展望を話します。 これがたまらなく苦痛です。 原稿を作るのですが、前回、前々回の話した内容を踏まえ、一貫した話に仕上げます。 原稿ができるとそれを読みあげ、丸暗記します。 キッチンタイマーで時間を図りながら5分に収まるようにするのですが、ペーパーでまとめた時は筋が通っているように思えても声に出すと意味が通らないように感じます。 修正をして読み直しても同じで、新たな論理矛盾を感じてしまい、修正を重ねることでますます混乱します。 筋が通らないと思うから暗記できません。 意味不明なのですが、伝えたいことが明確なのに伝えることができない、苦しんでしまいます。

しかし、普段ぼんやり考えていること、気が付いたこと、考えなければならない対策などが整理できて作業自体は意味のあることです。 100人強の5分の時間を意味不明のスピーチに使い、我々はこんなリーダーの下で働いているのかと思われるのが悔しい限りです。

オバマ大統領が広島で歴史に残るようなスピーチをしましたが、うらやましい限りです。

友人の一人がよいアドバイスをしてくれました。 「誰も内容など気にしていないし、まともに聞いてもいない、だから堂々と話をすればよい」というものでした。 私は一瞬救われた気になりましたが、伝えたいことがあって伝えられない、堂々と話して立派に見えることより正確に経営者の思いを伝えたい、なぜならそれが私の務めだからと思い、再び落ち込みました。

反省すれば私が考えていることを私の立場で、私の言葉で話しても伝わらないのは明白です。 聞き手の立場で聞き手の言葉で私の考えていることの一部を伝えられれば良かった、それも意識したけど中途半端で話の基軸がずれてしまったのが 論理矛盾をはらんだ原因だった、と気が付きました。 次回は思いのすべてを伝えるのではなく伝えるべきことを伝えることに注力してみます。

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[習慣]

記録

私は毎週のやるべきことを一覧表にまとめ、項目の横に升目をつけて一回できれば一つ赤鉛筆で丸を付けています。 何年間か続け、少しづつ丸の数が増えてきました。 継続反復することは一度やらなければやめてしまい、以後再開しづらいものです。

項目は新聞を読むこと、新聞を読むとき上場企業の決算内容をノートにつけたり、日経平均株価、円・ドルレート、10年物国債利回り、原油価格なども記録しています。 あとは筋トレ項目、掃除、洗濯、読書、英会話のhearing、一日の歩数、自転車の走行距離など記録しています。

記録することで継続できる、赤丸の数を増やすことで時間管理を徹底し、隙間時間を有効利用する、などです。

項目選択のポイントは読み物などインプット項目、その日感じたことをA4裏紙に鉛筆で書くout put項目、筋トレなど健康維持項目、英会話などの記憶項目などで入れ替わりがあります。

それ以外にも手帳には先ほど紹介した経済指標以外に当社の財務指標の気になる項目なども一覧で書いています。

何のために記録するかは明確ではありませんが、基礎的な生活習慣を記録することで生活のリズムをつかむことでしょうか。 細かく言えば子供じみた達成感、今週は100個の丸がついたと喜んでいます。 丸が少ない週に慌てて時間がかからない項目、主に筋トレ項目を多くこなして翌日筋肉痛に苦しんだりしています。 A4裏紙に書く文章は1枚千字は超えるので結構時間がかかりますし、面倒な項目ですが、その日の不適切な発言を反省したり、自分が変わるための修行のようなもので大変重要視しています。

予算や業績は一か月の損益など一時点での断片にすぎません。 事業がどのような傾向をたどっているのかは時系列データが必要です。 人間関係でもある不用意な発言から信頼感が低下したりしますが、常に反省を重ねることで関係の方向性や修復のきっかけが見えてきたりします。

企業に属するものとして自分の第一の役割が 会社の方向性を明確に示すことですから、これらの記録を重ねることで誤りの排除を目指しています。 ある瞬間に正しいことでも時間の経過の中では正しくないこともあります。 金利が安い現在、ファイナンスをして投資を加速するかもしれません。 しかし好ましくない投資を膨らませると将来借入返済に苦しむことになります。 金利は借り入れによる投資として大きな要素ですが、最重要項目は投資が必要か、いま必要か、どりくらい必要か、等を配慮して行うべきだからで、金利が低いから投資することは本末転倒と思われます。

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[生活]

認知症

 叔母が認知症になり、認知症に特化した施設に入所しました。 叔母は京都に住んでいたのですが、身寄りで近隣に住んでいるのは甥が4人だけです。 その一人が面倒を見てきて、私にも連絡してくれました。

 施設に面会に行きました。

 認知になったのは昨年末、その前後の記憶が混濁しています。 それ以前の記憶も怪しいのですが、私が誰であるか解ります。 最近になって夫である叔父がなくなり、甥がすべての段取りを整えることになりました。 その甥、私の従弟ですが、に頼まれ私が叔母にご主人の死亡を告げ、通夜に連れてゆくことになりました。

 認知の叔母にご主人の死を告げるのは辛い役回り、出向いて面会し、直截に伝えました。

 叔母の話では叔父は自分と離婚して若い人と再婚したことになっています。 死を告げても受け入れようがありません。 つじつまの合わない状態で『とにかく行きましょう、知っている人がたくさん来るから』といって連れ出しました。

 タクシーに乗ると叔母はテンションが上がり、『こんなに近くなら走っていけるじゃないか』と言い出し、20分ほどで式場につくとまだだれも来ていません。 しばらくして世話役の従弟がやってきて、東京に住むへつの甥がやってきました。 叔母の記憶にその甥の面影が残っていて静かに一礼しました。 私と並んで座っていて『そや、○○さんや、思い出した。ちょっと呼んできて』と私に言ったので、東京に住んでいる従弟を呼ぶと改めて挨拶をしました。

 その後、次々と見知った人が来て喪主である叔母に挨拶してゆきますが、叔母は話の辻褄が合わないまでも話をします。 挨拶をした人は叔母が認知になっていることを知っているので辻褄を合わせようとはしません。 叔母は私に騙されてここにきているのですと説明しています。

 通夜が終わり、施設に戻るとき叔母に『皆に騙されたと言うのはひどいじゃないですか』というと『冗談に決まっているやろ』とにっこり笑って私の腕をはたきました。

 従弟が『叔母が行きたくないと言ったら友達に合いに行きましょうと騙して連れてこい』と事前にアドバイスを受けていて、それを叔母は見抜いていたことになります。 恐るべし、叔母の洞察力、唖然としました。

 住んでいるのは認知症専門施設、叔母の周りは認知症の人ばかりで話し相手にもなりません。 ますます認知が進むでしょう。 毎日よく知っている健常者のひとと話をし、自分で生活すれば完全回復するのではと思い、従弟に話してみました。

 従弟は僧侶、医療介護の専門家ではありませんが、『そうかもな、それはそれで問題もある』とのこと、介護の専門家に聞くと認知の改善はありえても完全治癒はないとのことでした。 認知の改善は記憶、論理思考、コミュニケーションなど社会生活のうえで必要な能力が回復することだと思いますが、記憶が以前の半分まで回復したとか簡単な日常会話が通じるようになったとかではなく、ほぼ元に戻ったのにある瞬間に自分が誰だかわからなくなるような回復もあるようです。

 まだらに回復すると正常な時はこんな施設から出てゆきたいと思い、施設を退所して自宅に戻れば突然問題行動に走る可能性があり、それなら認知のままで施設にいるほうが安全ということになります。

 本人が自我を幾ばくかでも回復することは素晴らしいことですが、マダラの回復がもたらす代償はかなり大きいようです。
 

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[社員教育]

西方浄土

私の従弟、父親の実家の寺の住職をしていますが、会社で講演をしてもらいました。 演題は四苦八苦、当社が医療・介護の仕事をしているのでこのタイトルを選ばれました。

講演内容は小話を重ねるもので、最初の話は『迷子の子猫』の歌の意味です。 迷子の子猫がニヤンニャン泣いて何かを訴える、それを犬のおまわりさんがワンワンと答え、何も通じないというものです。

人はそれぞれの立場で話をして、聞き手は自分の価値観で受け答えする、コミュニケーションは成立しないというお話です。 コミュニケーションの成立という点でよくある話題ですが、例示が犬と猫という点でインパクトがあります。 さすがに和尚、単純な話、単純であるがゆえに普段に意識しないことを印象に残る例を引き合いにされました。

このような難しくない話を自らの体験も織り交ぜてうまく伝えていただきました。 その中で宗教家らしい話として死後の世界の話題がありました。 仏教の世界では死後の世界は西に向かって果てしなく遠いところの浄土にあるとされています。 もちろん科学的に証明された世界ではなく心の内にある世界観です。

それを信じろといっも難しいと思われます。 しかし信じることができたら死に直面したときどれほど救われるか、私は救われると思います。 しかし信じなければ死に際し救われません。

和尚は信じることの方法は信じる以外に何もないと断言しています。 シンプルで腑に落ちました。

職員を管理職に登用する局面で、とても不安のある候補者がノミネートされたとき、心の中で葛藤があります。 代替案がなくそのまま登用して、びっくりするような活躍をする人がいます。 自分の目が曇っていたのか、何度も再考しても訳が分かりません。

私の持論は人は誰も等しく社会的な能力を持っているというものですが、管理職登用では持っている能力が必ずしも発揮できるとは限らないと考えてしまいます。

この局面で『信じるしかない』と誰かにアドバイスを受けて信じられるか、人は日ごろイメージできないことを信じることは難しいと思います。 私はもうすぐ63歳、死との距離は確実に縮まっています。 できれば西方浄土を信じたい、別に他宗教の死後の世界であってもよい、そうして安楽な死を迎えたいとこの話をきっかけとして考えました。 そのため何らかの宗教に入信したいとは思えません。 多くの先人の死生観はこの歳になって受け入れられるようになりました。

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[人間関係]

生き心地Ⅱ

岡 壇氏著『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある』というタイトルの本の感想後篇です。

本書の中でなにか当社の運営と似ているところはないか、と言う視点で読みました。 『生き心地の良い町』が『働きたい会社№1』という当社のビジョン実現の参考になるのではと考えたのです。

前回紹介したように書の研究フィールドは徳島県海陽町(海部)ですが、歴史上大量の移住者が各地から当地に流入しています。 短期間に大量の移住がなされると地域の地縁的な文化が崩れます。

一方当社は最近ですがここ数年職員の増加率が高く、職員の3割が1年間に増加したりしています。 もちろんその前後の年も増加する一方で古い職員が止めたりしています。 年功序列の風土は弱く、先輩への敬意は比較的弱い一方で後輩の遠慮も弱い会社になっています。

海陽町では他人への関心の強さがあると記されています。 著者が研究のために海陽町の宿で宿泊し、聞き取りで出かけると皆著者が何のためにいるのか知っていて、機会があれば話しかけてこられるようですが、考えが違ってもそのことで関心を示すわけではありません。

この部分では当社で新人が入社してポータルサイトで公表されても特に皆が関心を持つわけではなさそうです。 職種が違えばさらに関心が薄く、営業職のものが薬剤師の新人に関心を示すことはありません。

海陽町で特徴的な風土で、著者はリーダーの選出をあげています。 よそ者が流入してきて問題を起こさないよう監視するのが一般的ではあるが、海陽町では監視するより関心を持つ、そしてリーダーを選ぶときに家柄などよりリーダーとして優れているか、その1点でリーダーを選出する傾向が強いそうです。 多くのよそ者がいる小さな村で古い家柄やお金持ちをリーダーにするよりたとえよそ者であっても問題解決能力が高い人をリーダーに選ぶ傾向があり、風土の維持に貢献しているそうです。

企業ではリーダー選出に関して当たり前のように思われるかもしれませんが、過去の実績で高齢のリーダーを温存して問題となった企業、就職人気ランキングが常に上位にもかかわらず実態は派閥人事が行われている企業、リーダー選出は企業において海陽町ほど上手くいっていない事例が多いと思います。

海陽町の風土して隠し事が無い事も挙げられていましたが、企業においても風通しの良さはよく話題になります。 当社は個人情報にかかわるもの、未決定の経営方針や戦略は秘密扱いにしますが、財務データなどは開示しています。 社員の関心は経営者である私より部門の長に対して強いように思われ、指示を出す人が最高責任者より吸引力が強いようです。

ほかにも類似点は多く見られましたが、地域コミュニティと企業を全く同一に比較はできません。 しかし人の問題と考えると本書は働く環境を快適にするうえで多くの示唆を含んでいるように思えます。

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[生活]

生き心地

岡 壇氏著『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある』というタイトルの本を読みました。

当社の理念『もっと元気に、もっと笑顔に、きっと感動  働きたい会社№1』に通じるものをタイトルから感じ取り、手にしました。

本書はサブ タイトルの通り筆者が慶応大学大学院で博士論文として研究した徳島県海陽町(平成大合併以前は海部町)の自殺率が低いことに着目し、フィールドワークをまとめたもので、ユニークなテーマ選定であったようです。

自殺は日本で年間3万人、交通事故死の6倍で社会問題として大変大きな問題です。 それゆえ自殺の原因因子の研究は盛んに研究されているらしいですが、自殺予防因子の研究は皆無に近いようです。

アプローチのユニークさの解説で『研究されていないテーマは研究することが困難であるか、アプローチとして間違っているか』と解説されています。

良い事でも悪い事でも起こったことは話題になるけど起こらなかったことは話題になりません。 犯罪でも地震など天災でも経営問題でも同様の傾向を感じます。

ずいぶん以前に同じ徳島県上勝町(那賀町を挟んで海陽町の北にある)の葉っぱビジネスの報告を読んだ時も同様の興味をひかれました。 葉っぱビジネスとは和食で盛り付けに沿える葉を採取して販売するビジネスです。 例外でミカンなど農業が壊滅的な打撃を受け、再生するより若い人が流出した町で、農協職員がこのビジネスを思いつきブランドに仕立て上げた話です。

葉の採取は残った高齢者に委ねられ、山岳地帯なので高齢者が山に葉の採取に出かける、それが高収入になり、多くの高齢者が競って取り組んだ話です。 それまでサロン化していたクリニックは受診する人が減り、通所の高齢者施設は閉鎖に追い込まれるほど利用者の減少が見られたとのこと、高齢者事業に携わるものとして関心が湧き、現地へも出向きました。

現地で判ったことは点在する集落の家々が立て直されたりリフォームされて立派であること、よくある山岳地帯であることくらいでしょうか。 高収入になるため高齢者が競って葉を採取するため山に入るのですが、お目当ての樹木がどこにあるかは秘密で、脳血管障害などによる麻痺のある高齢者も山に入って行くそうです。 結果的にこの町の医療費は高齢化率が高いにもかかわらず徳島県の平均を大きく下回り、当然ながら介護コストも低く抑えられていると思われます。

高収入が期待できるので町を出た若い人たちが町に戻ってくるようになったらしいです。 農協主導の農業振興の成功例として、全国の農業関係者の見学や一般の人の見学も増加し、有料の体験セミナーも当時は催されていました。

想像ですが自殺の発生率も低いのではと思われます。 しかし、岡 壇氏が近隣の上勝町を選ばなかったのは自殺率は海部町ほど低いわけではなかったこと、稀有の農業振興成功例などではなく、住民の文化や風土にあることに着目したからに思えます。 (次回に続く)

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[経営]

人の評価

会社の経営層で決めなければならない重要事項で一番意見の分かれるのが人の評価です。 経営方針や予算、計画などほぼ意見の一致を見ますが、管理職人事については全くまとまりません。

当社では派閥等はなく、先入観なく人の評価ができるのですが、まったく一致しません。 デリケートな問題だけに反対するにしても欠点をあげつらうことはなく、『本当にそれでよいのか?』程度の批判です。

昔は私が適当に決めていて、問題人事になったこともあり、最近は皆で決めています。 結果『おやっ』と思う人事案が出てきて、人がいないので代替案も出せずにそのまま決まってしまったことがあります。 不安でしたがしばらく様子を見ていると年上の先輩社員をうまくまとめ、その店の雰囲気は一気によくなりました。 不思議でしたが、実は今でも不思議ですが、その人が『やってみよう』と腹を括ったからにほかなりません。 人は誰でもやろうと思えばやれるのだと考え、自分の人の評価が誤っていたことをつい最近まで認めていませんでした。

年齢も性別も経験も関係ない、管理職は自分の役割を認識して真剣にその業務を行えばうまくできるものだと思い知りました。

このようなことがあってから私は自分と意見と違う提案がなされても頭から否定せず、一応自分の意見、そう考えた理由を丁寧に説明したうえで翻意が無ければ提案通りことを薦めます。 現場にいる人の方がその人の事をよく見ているわけですから私より人の評価の情報は多いはずです。

しかし、そのようにして妥協した人事案が上手く行かない時もあり、後付けで『ああだった、こうだった』と悔やみます。

意見が纏まらないならどうでも良いと開き直るつもりもありません。 昇進人事は何を評価するかのメッセージですからうかつに管理職に不向きな人を昇進させると混乱が始まります。 幹部の昇進人事は重要で難しく、その人の持って生まれた才能や経験と意欲で決まります。 高い実績を上げたとか人柄が良いとか知識が豊富とかではなく、いかに管理職に向いているか、その一点で判断すればもう少し意見の一致をみるだろうと思います。

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