監査役BLOG

会社を見る鳥の目

経営者の目線で、日々の思いやできごとを綴っていきます。

[未分類]

新聞を読み解く

私は新聞を熱心に読むほうですが、いくつかの記事を複合して読み解き、経済の流れを見極めいたと思っています。 とはいえ経済史をきちっと勉強したわけではなく、医療介護の業界から見る日本経済や国際的な変化を実感するような立場にいません。

限られた知識・情報を組み合わせるわけですから制度は低いものと思います。 しかしネットに落ちている情報を丹念に拾い集めて評価する人もいますが、ネットにある情報の殆どを私は信用していません。 それもビッグデータ解析のように分析すれば一面はわかるのでしょうが、判断材料としての角度の高い情報や基準をもっての話しで、それがなければ単なる情報にすぎません。

最近の記事でここでも何度も取り上げましたが、人口推移は長期の経済を見るうえで基本情報と思います。 人口推移は生産年齢人口、つまりは国の生産力の基礎という認識から重要ですが、短期的には雇用統計になります。 米国証券市場や金利動向でも米国雇用統計、特に非農業分野の雇用増が20万人/月を超えるかどうか話題となります。 そして失業率になります。

ことにし入り日本では有効求人倍率が改善し、直近では1.09倍、最近では2009年に0.4倍付近でしたから大きく改善しています。 計算方法として求職活動をしていない失業者は計算外になりますし、正社員以外の求人はカウントされます。 細かい分析はさておき当社でも求人に困っています。

一部のファーストフードチェーンの一部の店舗でのアルバイトの時給が1500円など、薬剤師のパートの時給が大阪市内で1800円、大阪の最低賃金が時給換算で840円くらいだったと思いますから労働市場は大きく動いています。

国政としてはインフレ率を年2%程度としており、デフレから抜け出す上で賃金上昇は好ましいことです。 過去長期にわたりデフレが続き、物価は消費税が上がったとはいえ低いままのものも多い中で賃金が敏感に反応すれば生活は楽になるでしょう。 実感としてそうだから消費税が8%になっても消費の落ち込みは小さく、国の施策としてうまく行っているように見えます。

賃金が上昇し、内需が進行して経済が一見活性化して消費税を10%に上げることができ、法人税を下げて輸出型大手企業の好決算(円安に起因するところが大きいですが)から税収も伸びます。 利益が出ていない赤字の中小企業に外形標準課税で法人税率下げによる税収を補填し、一方で起業促進の施策を実施しています。

話は変わりますが自動車業界の利益について大手比較が出ていました。 業界2位のホンダは5月の輸出が前年同月比の8割減となりました。 ホンダの消費市場で生産を加速するため国内生産・輸出を減らしてきました。 これは人件費の問題だけでなく為替の問題回避のためで、国内生産に対する輸出比率は圧倒的に少なく、最近の円安で大きく潤った自動車業界でホンダの利益は小さいものとなっています。

これだけの記事に書かれた事象から将来を予測すると輸出型企業は海外に展開し、日本での雇用を減らし、または韓国など同様の輸出重視の企業に競り負け、税収も減ることになるでしょう。 中小企業の一部は課税強化で体質が変わり、一部は大企業に向けて生き残りを模索するでしょうが、目先採用難から人材不足に陥るでしょう。 政策課題に上がる出入国管理法の改正で外国人労働者の入国が促進されたとしても分野はまだまだ限られますし、犯罪の増加などから入国制限のコントロールは入管事務所で行われ、どこに行っても外国人にお目にかかる要にはならないと思います。

政策を見ていると日本企業や雇用マーケットの特殊性を改善したいものの特効薬は副作用が大きく、症状を加速し、問題が大きくなってから根本的な改善施策に着手しようとしているように思われます。 何をさておき経済は日々連続しているものですから根本解決より目先の改善を先行しなければならないようです。

私が解説するまでもなく、官僚は優秀ですべてを見通し、たとえ大きな無駄や回り道をしても連続性を重視しているように思います。

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[生活]

高齢者

日本経済新聞の朝刊に高齢者にかかわる記事が3件出ていました。

『糖尿対策、ホテル合宿で』は厚生労働省が糖尿病の疑いがある人向けにホテルや旅館で運動や食事の保健指導が受けられるプログラムを作るというものです。 糖尿病そのものはタイトルの高齢者と限定されるものではありませんが、高齢者介護の仕事をしていますと高齢者に多くみられる疾患であると思います。

国政の意図は『観光産業の活性化につながる』とのことで、成長戦略の一環だそうです。 厚生労働省がやることだからその意図が介護費用や医療費の削減、高齢になっても働ける期間を延ばす労働力確保や年金支給の減少(年金支給年齢でも働き続けることができれば所得水準によっては年金支給が減額されます)の一石3鳥を狙ったものかと思いました。 どちらにしても良いことですが、合宿しなくても本やDVDを作成して啓蒙活動をすればよいのでは、と思いました。

国政レベルで求められる施策ですが、当の個人に振り返れば健康維持のためにもしくは糖尿病予防のためになるのであれば好ましいことだと思います。 比較的若い人が糖尿病で両足切断し、電動車椅子で生活されていましたが、大変不自由な様子でした。

私が血管の異常を診断され、脳梗塞などのリスクがあると診断されたその日に禁煙し、禁煙の苦痛は全くありませんでした。 その後、血管の異常は脳梗塞へのリスクと関係ないことがわかり、またその日からためらいなく喫煙が始まりました。

人は死の恐怖に触れた途端、大抵のことができると思った瞬間でした。 それを優秀な人材がそろう厚労省で健康維持や高齢者特定疾患予防のガイダンスDVDを作成し、日本経済新聞で宣伝すれば結構売れると思うのですが。

二番目の記事は高齢者の定義を70歳以上にするという基準策定のものですが、『選択する未来』委員会が提唱しています。 話題の発端は生産年齢人口の定義にあり、現行の15~64歳を15~70歳にしようとするものです。 こちらは70歳まで働いてはということのようです。

三番目の記事は銀行・証券が医療・介護などの保険販売が好調という記事です。 加入対象は比較的若い人が多いそうですが、現行の医療・介護保険制度に上乗せするものだそうです。

これらの記事を総合すれば国は労働力が不足し、年金の原資も足らなくなり、医療・介護保険の財政支出もできれば減らしたいから70歳まで働いて、もしくは年金がもらえないかもしれないから働かざるを得ない人が出てきて、働けるように健康維持に努めなさいということです。 もう少し突っ込めば医療・介護保険制度は破たんを避けるために自己負担も増加しますよ、『だったら老人よ、健康維持に努めよ』になります。 言い方はともかく悪いことではありません。

個人に振り返ってみると致し方ない財政上の理由に納得するかどうはさておき、誰しも健康でいたい、70歳まで働きたいかどうかは意見が分かれる所でしょう。 しかし高齢者の入り口にさしかかった私としては国はどうしたいのかはっきり言え、国の制度で将来老人の健康維持は担保しないよ、と言ってほしいところで、疾病予防プロクラムが成長戦略目的では白けてしまいます。

個人的には平均程度の税金も払って来たし、若い収入の少ない時に年金積立も行って来たし、人一倍働いてきたつもりです。 幸い健康に恵まれ、最近の生活習慣も節制を重ねています。 それだけに70歳まで働くことを良しとはしないのですが。

 

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[価値観]

日本の高額所得者

医療介護の業界にいると管轄である厚生労働省の施策についてパターンが見えてきます。 介護保険では自己負担が1割であったものが来年8月から一定以上の所得がある人は2割負担になるそうです。 医療費もこのように歴史の中で3割負担になり、自民党政権時代に老人保健をもつものは1割負担になりました。

医療に関し保険診療を受ける年齢層は圧倒的に高齢者が多く、老人保健の1割負担は大きな負担と想像します。

医療・介護の国レベルの支出は40兆円後半となり、厚労省としては何とか伸びを抑えたいところで、あの手この手を考えますが、選択できるオプションは限られています。 その場合、どのような社会背景の中でなら厳しい施策を実行できるのか、どの程度ならいけるのかということです。

自民党の安定政権下で今後同様の負担を強いられる可能性は強いと思います。 しかし程度において2割負担は微妙です。 3割負担にして一般の人は2割とし、いずれすべて3割負担というのが期待のシナリオのような気がします。 それならば老人健康保険は3割負担に戻すべきという話に繋がりそうです。 さらに言えば介護保険は医療保険の30%程度の予算規模も影響しています。

国家レベルでは国債をはじめとする借金が1000兆円を超えてひさしく、残高の伸びは加速しています。 厚生労働省に限らず国の予算は後がない状況でしょう。

私ももうすぐ61歳の誕生日を迎えますが、若い所得が少ない時に大きな金額を収めた年金が所得が高いために給付されません。 先日本当に自分は所得が高いのか調べてみました。 高いと思っていた所得税は私のように高が知れた所得では大したことはありませんが、市府民税は意外に大きく、不動産を所有しているので固定資産税・都市計画税、そして日日の生活にかかわる消費税と税額は大きな比率になっています。

当然まめに節約を心掛けています。 クリーニングは極力家で洗濯、車を所有しない、散髪は家でバリカンで行う、野菜を食べ健康に留意し医者に掛からない、本は図書館で買う、酒は飲まない、タバコは残念ながら止められず減らす、服は買わない、照明はLEDに変えこまめに消灯、エアコンはなるべく使わない(食事量を減らし、生野菜を食べると体の発熱は減ります)、人に笑われるようなけちけち生活で同時に体脂肪を減らそうとしています。

日常生活でストレスが大きく、仕事のストレスと重なった時に過食となったり、お酒を一杯だけ飲んだりします。 節制する生活のパターンが作れないと仕事での生産性は低下し、新たなストレスが生まれます。 この年になってうまく生きていくことのむずかしさを実感しています。

 

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[社会]

組織の象徴

もっともシンプルに『組織』の定義はと問われれば人間の集団とということになるでしょうか。 異論はあると思います。 人が集まるのは何か目的があるからですから『目的』または『目標』のようなものが必要という考えもあります。 組織運営をする上で『リーダー』も必要でしょう。

かつて会社の組織規程の策定に携わった時、組織の範囲(業務の)、組織単位の長の定義があり、なるほどと思ったことがあります。

さらに『業務分掌・職務分掌権限規程』で組織単位の業務、長(管理職)の職務と権限が定義されていて、合わせてこの範囲の仕事をこれだけの権限で責任をもって運営してくださいと定義づけられていて、いかめしい規程名ながら大変納得しました。

大きな組織として国家がありますが、そこには組織規程や業務分掌・職務分掌権限規程に相当する役職者・業務執行者(政治家・官僚)がいて、さらに彼らの権限や責任については明確に法定されています。

日本の国ではさらに国家を象徴するものとして国旗や国歌が定められ、皇族がおられます。 企業でも社旗や社章を定め、理念や社是、社訓を定め、創業者の銅像を作ったり、会長や名誉会長など生きた象徴もおられるようです。 もちろん会長職を象徴とするのか実務的な職務や権限が明確な企業も最近は多くみられます。

私は以前勤めていた会社でこの象徴の管理、具体的には社章の管理や社歌のカラオケ作成などをやらされてうんざりしたことがあり、会社における象徴について否定的でした。

もっとも象徴が必要な組織の一つに宗教がありますが、偶像を禁止している宗教もあるので組織にとって象徴が必要不可欠なものではないような気がします。

ところが会社が少し大きくなって従業員数が増加すると象徴を求める声がひそやかに聞こえてきます。 会社のシンボルマークは策定しているのですが、名刺や車にシールで貼っているだけで、普段あまり目にしません。

再び以前の会社の話に戻りますが、象徴が大変好きな風土で、企業理念や経営方針など風土の概念作りはさておいて社章の作り変えや社史編纂など熱心でした。

私は会社の個性、社風といったものを理念や行動指針の中で明らかにしてゆこうと思いました。 ところがこれが意外に難しいもので、何年も考えているのですが浮かんできません。 私自身こんな会社であってほしいというものをもっているのですが何か言葉に置き換えるとそれが独り歩きするようで大変怖い思いをしています。

なぜ怖いかというと、『こういう会社を目指す』とか『当社の30年後のビジョン』などか独り歩きするとそれに制約を受け、下手をすれば経営に悪影響を及ぼしかねません。 少なくとも30年後に私は会社にいませんし、生きていない可能性が大変高い遠い将来です。 一人の職員から辞表が出てくるとなんでだろうと悩み、デリケートな問題なので直接本人に聞くことも憚られます。 それが全社員に影響を与えるわけですから『ビジョンが気に入らないから会社を辞める』という人が現れでもすればしばらく眠ることもできません。

象徴的なものは皆が会社の遠い将来を見据えてこうある会社であるから帰属したいというものですから大変『美しい・立派・麗しい・まじめ』的なものだと思います。 そのようなことを言って、たとえば今の理念が『地域に根ざして健康と生活を守ります』と言っておきながら象徴的側面を持つ私がタバコを吸い、ふしだらな生活をしていたら『理念はなんやねん』ということになります。

そういったリスクだらけであってもやはり社員の皆様がグッッッッとくる麗しくも力強いものを標榜し、その生きた象徴として自分がいることに憧れています。 残念ながらそこまで立派な人間ではないのでせめて背筋を伸ばし、笑顔を絶やさず、非難や中傷に繋がる発言を避け、立派に見えるようふりをしています。

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[社会]

リフォーム

日本経済新聞にLIXIL(衛生陶器のメーカー)の記事が小さく出ていました。 『リフォーム需要底堅く 事業営業益1割増』という見出しです。 この会社はかつて株式投資をしようと考えた時に注目した会社で、飲食店でトイレに入るとかなりの確率でこの会社の便器が使われていたからです。

営業益で1割増ですから比較的地味な記事ということになります。 何気なく読んでいるとリフォーム事業の営業利益は前期比1割増で300億円強、この営業利益はかなり有名な上場企業の営業利益に匹敵するものです。

LIXILが大工さんを雇ってリフォームするのではなく、工務店にリフォーム用のキッチン、ユニットバス、トイレ設備を販売するもので、売り上げ営業利益率は約1割と高い値です。

当社も高齢者介護向けのリフォームを事業として行っていますが、下請け工務店のリフォーム部材の仕切りは大変低く、部材メーカーは果たして儲かるのかと心配になるくらいです。 洋式便器の高級品は50万円の定価ついていたりしますが、リフォーム用汎用品は定価設定も低いです。

開設の中で政府が2020年のリフォーム市場を12兆円と見込んでいることです。(現在は7兆円規模)、国内市場で10兆円前後の市場はかなり大きいと思います。 調べたことがなかったのですがまさかこんなに大きな市場とは思いませんでした。

介護保険のマーケットは8兆円今日ですからそれに匹敵するもので、最近各社がリフォーム事業に注力し始めたことは新聞でも小さな記事に出ていました。

リフォーム部材は大企業で分散されて製造されており、キッチン、ユニットバス、トイレ、木製品、壁紙等々、それぞれ違う会社で製造されています。 そして実際リフォームを行うのは小さな工務店で、その動きは新聞記事になりません。 しかし10兆円の市場はTV、半導体、自動車、携帯などのマーケットに引けを取らない規模です。

そのマーケットの掘り起こしを意図したTV番組が『劇的ビフォア アフター』と思います。 いったい誰がこの番組を企画したのか、ひょっとして経済産業省の秘密のチームが仕掛けているのかと訝ります。

もし私が民主党政権時代に首相であればこの手のTV番組を国主導で作り、経済振興の一助にしたでしょう。
厚生労働省であれば合計特殊出生率を2以上にするために保育所を何千と作って助成金を何千億円出すより、子供のいる幸福に満ちた家庭の番組を作ります。

すでにこのような国政プロパガンダは公共広告機構を通じてやっていますが、TVの影響力のあるうちにどんどんやればよいと思います。 半沢直樹のヒットは国民の金融機関への視点を変えました。 宮崎駿のゼロ戦製作のアニメや永遠のゼロは好むと好まざるにかかわらず自衛隊の防衛論争に一定の影響を与えています。

リフォームに話が戻りますが、リフォーム潜在需要は高齢者のお宅を訪問していたとき大変大きなマーケットと実感しました。 その市場がフレークスルーできない理由はあって、例えば悪徳工務店の問題とか工事に定価がないとか、解決されればブレークスルーすると思います。

政策が誘導したいこと、産業界がこうあってほしいことは『半沢直樹』のようなドラマで促進されると思います。 もちろん誘導の方向が社会的に意味があり、プロパガンダのドラマがよくできていることが条件ではありますが。

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[習慣化]

雑事

日々の生活を営む上で雑事が多く、気が付けば今日一日何をしていたのか? と嫌になる事があります。 私の場合、必要なこと全てを雑事としてこなしています。

重大であることとか(もちろん程度もありますが)緊急で取り返しのつかない事とかは雑事と考えていません。 生活の事とか、重要事項であるが緊急でないためすぐに取り掛からないまでも準備のために関連する資料に目を通すとかです。

カテゴリーとしては仕事、日常生活、健康維持でしょうか。 仕事は具体的な指示をすることはほとんどありませんので報告を聞く、報告内容に質問を考える、ニュアンスをつかむため担当者と話をする、その時どのように話せばよいかロールプレイイングを行う(すっきりしないことは何か、言ってはならないことは何か、聞き出す方法は?)等です。

仕事で意外に面倒なのは資料整理です。 会議資料をはじめ多くの資料が手元に来ますが、ファイリング、見直し、廃棄の繰り返しです。 これが結構厄介で漫然と廃棄するとあとで困りますし、何でも取り置けば見直すことのない資料が山積します。 紙の資料は見直して廃棄を定期的に行いますが、業務内容が変わればファイルそのものも変えていかねばなりません。 『賃金関係雑ファイル』では予算資料も制度資料も混在し、使い勝手は悪くなります。

日常生活では部屋の掃除や洗濯やTVの録画、ベランダの植物の水やり、食品の買い出し、一見煩雑ですが、これらの軽作業は頭が疲れたときに気持ちをリフレッシュします。 また軽作業中に従よな仕事のことでアイデアが思いつくこともあります。
現状の自分の机は大きいものを使っていますが、書類が散乱し片付いている状態はほんの一瞬です。 よくドラマで経営者の執務室の場面があり、非常に整理されています。 これ見よがしに本棚があり、おそらく読まれない書籍が整然と並んでいますが、私の部屋に書籍はほとんどありません。
もちろん私もそのような執務室で仕事をしたいわけですが、性格なのでしょうか散乱した書類を眺め、その書類にかかわるイメージがわかなければ放置し、時間がたってどうでもよくなればその書類はファイルするか廃棄されます。
要はどうでもよい書類なのです。 書類はつまりは情報ですが、情報の旬が過ぎればただの紙ということでしょうか。

健康維持に関する雑事では早朝の散歩、筋トレやストレッチをする、ダイエット食を作るなどです。 60歳を過ぎてから体力の衰えは厳しく実感しています。 気にもしなかった健康診断のデータに危険信号がともってきました。 中性脂肪が高い、では炭水化物ダイエット、ご飯は外食以外で食べることがなくなりました。 朝食は野菜と果物、ヨーグルト、昼食、夕食も麺類がほとんどです。 医師にも見てもらい、薬も飲んで多くのデータが正常値に戻りました。 しかしよりよいデータにするために早朝散歩、筋トレになります。

主食としてよく食べる大豆はご飯やパンに比べて決しておいしいものではなりませんが、筋トレをしてタンパク質をとって筋肉を増強し、体重を減らして楽に暮らせるようにする、合理的な考えですがあまりストイックになると日常が楽しくありません。

そもそも60歳を過ぎてそこまで健康維持に注力するのは仕事をこなすため、会社をおっぽり出せるなら好きなものを好きなだけ食べて、タバコも吸いたいだけ吸い、酒は多く飲めないまでも晩酌をする、でしょうね。
何も力仕事をするわけではありませんから、常に正常な判断ができるよう健康な肉体作りに励んでいるのですが、あるべき論に振り回されて気力が萎えてきます。 気力増強トレーニングと気力充実メニューを求めるようになればほぼ養豚場の豚に近くなるでしょう。

してはいけないと言われればしてみたくなり、が天邪鬼の私、自己矛盾と闘う日々です。

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[採用]

蹲踞(ソンキョ)

難しい熟語でなじみはないかと思います。 TVの相撲ち夕景を見ていて解説の元関取がたまにこの言葉を使います。 土俵でしゃがんで相手と対峙する姿勢をあらわし、剣道でも試合の前にしゃがんで向かい合うのも同様に蹲踞というようです。

相撲や剣道、柔道等道とつくものはスポーツとは一線を画していると教えてもらったことがあります。 元々は命を懸けて戦う技を鍛えるためのもので、得点を競うスポーツ性とは相いれないようです。

相撲で上位に位置する力士の蹲踞の姿勢は見ていて心洗われるものを感じるときがあります。 『これからお前と真剣に戦うがお前に何の恨みもなく、恨まれる何物もない』といった感覚です。 相手の目を見て平常心をもって顔を合わしています。 ボクシングで試合の前に選手が呼ばれ審判に注意を受けているときのボクサーの闘志剥き出しの表情とは違い、非常に物静かな感じがします。

採用面接は面接官と応募者が向き合い真剣に質疑を繰り返します。 相互に敬意を払いながらも面接官側は相手の弱みはどこで強みはどこか質問を繰り出してゆきます。 それはパンチやけりは出ないものの曖昧なものが感じられると追加の質問が矛盾をついてゆきます。

最近の面接で話題になるのは圧迫面接などある種の威圧を加えて動揺するかどうかを見るなどテクニックが独り歩きしている感があります。

私は論理の戦いと思っています。 応募者は自己アピールを繰り返しますが、嘘をついていないか、もしくは勘違いしていないか確認しなくてはなりません。 応募者は一般に自分の弱みはよく知っていて、つかれると動揺します。 そこで評価を下げるのは素直に自分の見識の誤りを認めることができるかどうかです。 こういう強みがある、こういう強みを自分のものにしたい、こういう強みはいいと思う、などこれを自分の強みと言い切った実態には何段階かに分かれます。

そういう時、ラッキーパンチを繰り出したボクサーのようにしゃにむに相手にパンチを繰り出すボクサーがいます。 しかし、こちらが相手の言うことをそのまま受け入れ、「ではそれが強みであるエピソードはありますか?」と切り返すのは相手を追い詰めるより相手の本質に迫れるように思います。

このような姿勢を相撲で言う蹲踞の姿勢ではないかと思います。 わざわざ時間と交通費を費やして当社を応募したい、と思ってこられた人には最大限の敬意を払ってその人が当社に会う人がどうか判断したい、決して小手試しで人を扱い、判断しないそういう姿勢が私は望みます。

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[会社運営]

組織とベストの選択

経営者の方を見ているといろんな人がおられ、経営者としての仕事にもバリエーションが多くあり、経営者というものがドラッカーのいう仕事なのか?と思うことがあります。

もともと営業から経営者になった人は取引先に訪問を繰り返し、自ら営業で実績をあげます。 小売業である当社ではちょっと考えにくいことです。 営業出身の人を上級職に引き上げたときに営業の現場を離れたがりません。

同様に薬剤師の上級幹部は調剤業務を離れたがりません。 薬剤師の上級職の人が高齢になると今まで曲がりなりにも行っていた管理業務や方針策定などの本来業務を放棄し始めます。 もともとそのようなことに向いていない、それを必要とする価値観がないということでしょうか? 結局自分の存在価値は薬剤師としての調剤業務に尽きると思い始めます。 残念ながら何十年前の基礎知識をもとに経験は積み増ししたものの薬剤師としては若い人にかないません。

私はというと若い時にサラリーマンをしていて、総務におりました。 その関係で社内部のことが得意分野、薬剤師業務ではないにしろ当然オールドタイマーです。 総務にいた時も総務の特色として業務範囲が広く、いわゆる何でも屋で特技があったわけではありません。 それが幸いしてか零細企業に従事して細かい問題に気づくことができ、その解決方法も最善ではなくとも解り、対処もできます。 実はここに自分の強みと弱みがあり、放置しても良いような細かい問題にこだわり、時間を使い、本来の仕事をこなす時間がタイトになってしまいます。

当社はやっと従業員規模が100人を超えたところ、それでも私が来た時から10倍程度になっており、細かな問題をほじくれば限も果てしもないです。 私がもし営業出身であればどうなったかというとそれなりに会社は回っていったと思います。 私が今気にしている問題は程度の差はあれ誰かがこなすこととなり、多少の不便や快適でないことも日々の業務運営の中で吸収されてしまうでしょう。 もちろん程度によれば誰かがその業務をこなすような組織内分業が出てくるでしょう。

つまり私は誰かに任せられる仕事をしていることになります。 最初に書いたように経営者には経営者の仕事があり、それは経営者が行わなくてはなりません。 それを誰かに振るのであればその人が経営者ということになります。(その人が結果責任まで追えばということですが) 私は誰かに任せればよいことに時間を割いているわけで、自分が関与している仕事は自分が一番うまくできると思ってしまっていところが弱み、自分ならこう出来たはず、には自分の好みの要素があります。

当社では事務所家賃を節約し、職員増加が規模の割には早いペースで進んでいるのでゆったりしている事務所が少ないです。 本社の人間も解れてあちこちの事務所に在籍しているのをまとめようとしました。 事務所選びは自分の担当と考え、立地の良いところでできるだけ賃料の安いところと考えますが、立地としては天王寺へのこだわりがあります。 ほかの本社職員に聞くと「どこでもいいんじゃないですか」という人、採用担当は応募者が大阪市周辺の都市の畑に囲まれた事務所に面接に来ると印象が悪いのでは?といいます。

どれも正しい選択で議論がなかなかかみ合いません。 さらに言えば本社を集約することですら意思統一ができていないことが判明しました。 私の仕事は「何故、今、本社を集約するのか?」を周知させることでそれに合った立地を考えるのは本社の人で良い、天王寺が良いなどというのは私の価値観、もしくは好みということになります。

経営者としてうまくやって行くには問題の本質に気付くこと、職員を信頼して任せることに尽きると思いました。

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[会社運営]

社員総会

当社では半期ごとに社員総会を開催します。 私が基調報告、各部署が最近半期の実績検討と次の半期の事業方針を報告し、新入社員の紹介があって懇親会に移ります。

現在100名強の職員のうち85名が参加、今まで同様懇親会は盛況で、8箇所の事業所に分かれて仕事をする職員の顔合わせとお祭りといったところです。

私にとっては基調報告が頭痛の種、5分の時間を与えられ、何を言っても構わないのですが、5分にコンパクトに伝えたいことをまとめ、何度も推敲し、ICレコーダーに録音しながら鏡の前でリハーサルします。 基本は原稿をすべて暗記しますが、推敲する中で盛り込むことが多くなり、それぞれの項目が筋が通っていることから抽象的な言葉が多くなり、リハーサルでは上手く行きません。

今回は最悪で、途中で何を言っているのかわからなくなり、何度も噛んでしまって最低の出来でした。 ある職員から「どうせ何を言っても聞いていないし、覚えていない、だったら堂々と話す姿を見せればよいのでは」とアドバイスを受けたりしました。 しかし日頃思っていること、皆さんに伝えたいことが沸々と湧いてきます。

総会担当からも手厳しい指摘を受け、スピーチで感動させるのもよし、パワポでビジュアル化するのもよいがプロに指南しては?とのことでした。

私としては少し『ムッ!』としました。 手作りでいいじゃないか、噛んだっていいじゃないか、考え、演じるのは大変なんだと。 伝わらないメッセージは確かに意味がなく、伝えるのが目的なら米国の大統領の演説やジョブズのプレゼンのように映像がネットに流れるような演説をしたいと思います。 ちなみにオバマ大統領の演説は30分弱、何も見ずにジェスチャーを交えながら聴衆に視線をめぐらして内容のある話をします。 当然スタイリストや原稿担当者、リハーサルに立ち会うプロフェッショナルなサポートもつきます。

悩んでいても仕方ありません。 次回は皆が感動し、拍手が鳴りやまないスピーチで社員の皆様に感動を届けたいと思います。

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[社員教育]

人が考えを変えるとき

まだ若い時、サラリーマンをしていてなぜ自分はサラリーマンという職業をうまくやれないのか、と思い悩んだ時期があります。 直接の上司は会社内で嫌われている人で、それを自慢しているぐらいです。 その人といつも二人で仕事をするわけですから今なら上司のパワハラに悩んでいたというところでしょうか。

パワハラを受ければ反発するのが自分の性格、もちろんその人にも良いところはあったはずです。 当時の考え方はどんな組織でも自分にとって居心地の悪い状況があり、全く気にしない生き方ができれば自分は会社で大きく貢献できるのではと考えていました。

当時の会社はパワハラや社内暴力は当たり前で、現在とは違うかもしれませんが、たまに事件として同様なことが報道されたときは当時よりはるかに陰湿な印象があります。

何とか自分を変えるきっかけとなった一冊が素 空慈(ソ コンジャ氏 韓国人キリスト教牧師)著 塩田今日子訳 『悟りの瞬間』でした。 禅の奥義書「伝灯録」を解く とサブタイトルがついています。 かつて名僧と呼ばれた人が悟りを得る瞬間を解説したものです。

自分の苦しみは宗教家の悟りとはかけ離れたものであっても当時の自分にとっては『悟り』という言葉に取りつかれたのでしょう。 時代背景も違い、他国の僧侶の悟りの瞬間が自分の人生に影響を与えるのかそんなことも考えず、何か難病の特効薬を求める気分でした。 読んでみて理解できたこと、心の重さがふと軽くなったことはあったのですが、以後も同様に日常のサラリーマンライフで悩みを募らせていたように思います。

解説されていることにたとえ話は多く、せせらぎに流れていく笹船(笹の葉で作った船)を上から見ているというのがあります。 笹船が自分なら渦巻く激流に翻弄され、眼前の光景は激しい水流と流れてゆく陸地の景色でしょうか。 それを上から眺めてみると小さなせせらぎを笹の葉の船が静かに流れている光景だというのが『悟り』ということでした。

このたとえ話になるほどと思う人が多いかどうかわかりませんが、当時は!でした。 つまりは激流に流される自分も離れて見れば静かに流れる葉のようなものと理解しました。 しかしそう思っても当事者である笹船は激流を危険に思い、ストレスを感じながら流されていく不安から解放されるわけではありません。 何とかしたい、今の状況から抜け出したいと思う気持ちは変わりません。 それゆえ瞬間に心が軽くなっても翌日からのサラリーマンライフではパワハラから逃れられませんし、苦痛は感じていました。

教えとしてはそれを苦痛と感じることに意味はないということでしょうか。 もしそうなら苦痛がない分仕事に身が入り、ミスも減り、嫌な上司はパワハラに意味のないことに気付くかもしれませんし、日々の生活は景色が違ってくるでしょう。

今もその本は手元にあり、過去3回読みましたが、最近また読んでみたいと思っています。 60歳を超えて『悟りとは?』と悩む愚かしさに嫌気もさしますが、日々は激流に流される笹船の気分です。

 

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