監査役BLOG

会社を見る鳥の目

経営者の目線で、日々の思いやできごとを綴っていきます。

[生活]

上を向いて

ここで何度も紹介しましたが、下を向いて道行く人が多いように思います。 なぜそんなことを気にするかと言うと、私の移動手段と関係あります。

自転車で歩道を走っていると歩道を歩いてくる人に出会います。 下を向いている人は私が自転車で向かってくることになかなか気がつきません。

下を向いて歩いている人は真直ぐ歩けません。 蛇行します。 ぶつかるといけないので減速し、場合によってはベルを鳴らします。

その時の反応はさまざまで、迷惑そうな人、びっくりする人等ですが、殆んどの人が顔をあげた瞬間暗い表情です。

私も仕事で悩んでいた時期、下を向いて歩いていたことが多かったと思います。(自分の姿は見えないので記憶に残っていませんが)

あるとき、当社の女性役員に背中をバンと叩かれ、「社長がそんな惨めな姿勢ではいけません」と言われました。

なるほどと思い、背筋を伸ばし、考えられる限り美しい歩き方をしました。

下を向いていると写真のようなものに気がつきます。 地面に水平に視線を向けると、感覚的には7割が空です。(高層ビルに囲まれていないところですが) 実際の視界に入るのは半分が地面ですが、空は明るく視界を7割占めているように感じます。 そして建物にある看板や新しいビルの建築や目に付きます。 街路樹の紅葉や飛んでいる鳥も目に入ります。

しかし7割に思われる空は昼間なら明るく、たとえ落込んでいても気分は上向きになります。

逆に下を向いていると視界に入る空間は地面で区切られ、大変狭いものになり、閉塞感を持ちます。
私は日の出前の空が好きで、夏は清清しく冬は身の引き締まる寒さが日の出とともに緩んでいく漢字がとても素敵で、晴れの日は心の中に鬱積したものが日の出の明るさとともに晴れていきます。

日の出前、東向きに自転車で走ると最高の一日が過ごせる予感を感じます。

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[価値観]

個人の世界

営業応募者の面接をしました。 何を聞いても具体的な回答がありません。

Q.「尊敬する人はいますか?」
A.「以前勤めていた会社の部長です」
Q.「どのような点で尊敬できたのですか?」
A.「・・・・常識がある点でしょうか」
Q.「常識を持つ事がどのように尊敬につながるのですか?」
A.「・・・・・・・・・・」
Q.「質問がわかりにくいですか?」
A.「いえ、そんなことはありません」

どのような考え方をする人なのか、それを計るのが採用面接の要素のひとつと考えています。 被面接者がこのような答えをすると面接側では全く評価できません。(評価できないと言う意味は低い評価ではなく、評価が不可能、何を尊敬の基準にもっているのか判断できないと言う意味)

この被面接者は多くの友人を持っておられるそうです。 その友人との会話がどのようなものかある程度想像できますが、その会話が楽しいと言う感覚は理解できません。

何かを判断し、行動を起こすには具体的な情報が必要になります。 なにも行動を起こさないのであれば具体的な話は不要でしょう。

おそらく一緒に旅行に行く、スポーツをする、何かを作るといったことのない友人関係なのでしょう。 一緒になにもしない仲間は考え方が寄り添っていなくとも関係を維持できます。
しかし一緒に何かをする場合、考え方をすりあわせしないとけんかになってしまいます。

個人の頭の中の世界は無限の思考の海だと思います。 ある人は広がりのある海で、ある人は水溜りのようで、経験を万能とするわけではありませんが、広がりのない思考の世界から行動力は生まれないのかもしれません。

人は頭の中で知っていること、考えたことがすべてで、それ以上の存在にはなれないと思います。

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[社会]

銀行のコンプライアナス

銀行員と話す機会がありました。 ある都銀の行員は出社・退社の時持ち物検査を行われるそうです。

USBメモリーなど持っていないかポケットの中身も全部調べるそうです。

別の地銀の行員は用件があってもメール送信できず、ファックスの送信も原則禁止だそうです。

したがって機動的な情報のやり取りはできず、いちいち面談し、書類を受け渡しし、受領書にサインを必要とします。

今回融資を受けるにあたり、金銭消費貸借契約書の説明を求めると副支店長と2人でやってきて説明します。 社内規定で融資条件の説明は2人以上で行うことになっているそうで、本部決裁がおりるまで必要書類の案内も出来ないそうです。
説明を受けると『説明を聞いたことの確認書』にサインを求められます。

ちょっと意地悪な質問をしてみました。 ある書類についてなぜ必要かという質問です。 副支店長と担当は答えられませんでした。 どうして専門家である行員が自ら作成した書類の説明が出来ないのか、と詰める寄るとどことの取引でも必ず提出いただいていますとの返事、答えになっていません。

そのうち海外の金融機関が法人取引をインターネットで行うようになれば日本の銀行から誰もお金を借りようとしなくなるのではと思いました。

勿論そうなれば日本の金融監督庁は放置しないと思いますが。

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[経営]

賞与計算

当社は6月12月に賞与を支給します。 賞与の支給基準は事前に定めていますが、すべての計算が客観的に出来ません。

いわゆる鉛筆なめなめがあります。

賞与の考え方は業績配分、営業職で先輩の商権を受け継ぎ、高い売上水準を達成した人は地道な開発に注力した人をはるかに凌ぐ実績となり、結果的に高い賞与配分になります。

そこで新規開発は○○の評価、既存ユーザーの維持は○○という風にしていますが、新規開発でも大きな商権をもつところでハードルの高いところを開発した人とハードルの低いところが同じ評価では不公平感があります。

特に管理職の人がどのような貢献をしたか、実態は見えません。 皆に好かれる管理職、嫌われる管理職、実績を上げる人とそうでない人、指示が明確化不明確か、人を育てるのが上手いか下手か、評価ポイントは多岐にわたります。

取引先の管理職にこの辺りを聞くと複雑な評価システムを説明してくれます。 感情的な評価を排除するためのものでしょうが、功罪はあると思います。

評価者が真剣に3項目ぐらいの評価ポイントで評価してもあまり結果は変わらないのかなと思います。

以前営業職の評価で店長と私が事前の打ち合わせなく評価し、評価結果がまったくと言ってもいいほど同じでした。 違った点はお互いに被評価者の情報が偏っていたか、ちょっとした考え方の違いでした。

管理職の評価について、結論を申し上げますと結果がすべて、努力や誠意はそれが有効なものであれば次の機会に実績につながると考えています。

もし10年後に実績に結びつくような努力だけをしている管理職がいて、放置すれば10年後に実績が生まれるとしてもその管理職としての行為を価値あるものとは評価しずらいです。

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[生活]

アボガド

あるケーキ屋さんでお茶をしているとアボガドを使ったケーキが紹介されていました。

アボガドの料理は生を山葵醤油で食べる事しか知りませんし、食べたこともありません。

アボガドには他のフルーツに含まれていない栄養素があるとかで、最近健康お宅になりつつある私としては看過できず、近所のスーパーにアボガドを買いに行きました。

1個98円、安い気がしました。 1個買って帰り、皮をむいて醤油をかけて食べてみました。

思いのほか種が大きく、98円が安いという気が薄れました。 始めの一口はまあまあな味、1個食べ終わった時にはこってり感と青臭さで胸が悪くなりました。 やはり山葵は必須ですね。

今から30年ほど前、スーパーマーケットに務めた同級生が仕入担当となり、世界から輸入される野菜、果物の仕入を行っていました。
「これはアボガドといってこれから販売するんや、一つやるわ」と言ってくれました。 早速家にもって帰ったのですが、食べ方が判らず、とりあえず皮をむき、二つに切ろうとすると硬い種に阻まれました。

種をはずして、実の部分をスライスし、一口食べたのですが、あまりのまずさに吐きそうになりました。
くれた友人にすぐに電話し、食べ方を聞くと醤油をかけて山葵を載せて食べるとマグロのトロの味とのこと、確かにトロのようでした。 マグロのトロは好きではないのでさほど美味しいと思わなかったですが。

どんな栄養素が含まれているか忘れましたが、一度試してみたらいかがですか?

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[価値観]

掃除

私はほぼ毎日店を掃除しています。 ダイソンの掃除機で掃除し、モップを掛けます。 店の前の道を掃きます。 毎日30分かかります。

掃除をするようになって店がきれいになり、商品に埃がたまらなくなりました。 同時に店で働く人が片づけをよくやるようになり、店の雰囲気もよくなりました。

掃除の効果かどうかわかりませんが、2年以上続け、感じたことです。

パソコンが埃を吸い込んで冷却のトラブルをおこしますが、掃除をすることでこのトラブルは起こっていないようです。

掃除や片付けは経営においても大事なことで、環境変化の中で以前行っていたことが無駄な行為で、それを延々とやっている場合があります。

無駄を省くのに作業をびっしり詰めるのも一つですが、ほんとにいらない行為や人を排除する中で経営は改善されるように思います。

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[価値観]

掃除

私はほぼ毎日店を掃除しています。 ダイソンの掃除機で掃除し、モップを掛けます。 店の前の道を掃きます。 毎日30分かかります。

掃除をするようになって店がきれいになり、商品に埃がたまらなくなりました。 同時に店で働く人が片づけをよくやるようになり、店の雰囲気もよくなりました。

掃除の効果かどうかわかりませんが、2年以上続け、感じたことです。

パソコンが埃を吸い込んで冷却のトラブルをおこしますが、掃除をすることでこのトラブルは起こっていないようです。

掃除や片付けは経営においても大事なことで、環境変化の中で以前行っていたことが無駄な行為で、それを延々とやっている場合があります。

無駄を省くのに作業をびっしり詰めるのも一つですが、ほんとにいらない行為や人を排除する中で経営は改善されるように思います。

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[生活]

赤信号

以前このブログで町を行く人の視線が下を向いていることを書きました。

19日の日経新聞朝刊に赤信号を渡る歩行者が多く、信号のパターンを変えて信号無視が減ったことが掲載されていました。

私も車で信号機のある交差点を渡ろうとして曲がると信号無視をした歩行者が堂々と渡っているのに遭遇します。

クラクションを鳴らしても全く動ぜず、ゆっくり渡ります。
一度は怒鳴られました。 赤信号で渡っている歩行者をはねても車は罪を問われないようにすればどうでしょう。 勿論極論ですが。 車に轢かれて死に損なら少なくとも車が来た時は車を優先すると思います。 平和ボケし、保護されて続けている日本人は頭をたれて目先だけを見て歩いています。

これと政治の問題を対比するのは無理があるかもしれませんが、政治に過大な期待を持ち、基本的人権の元に保護を叫びまわり、自らの努力を惜しむ人があまりに多いように思います。

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[生活]

歩行者の視点

このブログでも何度も紹介していますが、私は通勤をはじめ自転車を多用しています。

自転車は軽車両なので道路を走るのが原則ですが、速度差から怖いものがあり、路側に余裕のないところは歩道を走っています。

歩道に自転車走行区分を作っているところはいいのですが、そうでない歩道は歩行者との兼ね合いで怖いものがあります。

人の往来が多い歩道で横一線に並んで歩く人や対向する自転車や歩行者がこちらを気づく距離は意外に短く、5メール先ぐらいにしか視界がありません。

お互いの自転車が時速10キロで遭遇すると、自転車間の接近スピードは時速20キロ、5.6m/秒で、視界が5メートルなら1秒以内にブレーキを掛けるか進路を変更するかの回避行動が必要になります。

視界が短い人は高齢者かと言うとそうでもありません。 携帯電話で音楽を聞きながら画面を見る少年とかへ移送する自転車同士で喋っている人とか、気になるもの【たいていは店先の値札のついた商品】を真剣に見ながら走行するおばさんとか、さらに突然と後方確認もせずに進路を変える人などです。

オートバイのコーナリングの鉄則は出来るだけ先を見ることで、コーナーで先が見通せたら相当スピードでコーナーを抜けても恐怖心は余りありません。
逆に10メートル先ぐらいに視点を置いてコーナーに入ると恐怖心でコーナリングできません。

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[社会]

電子書籍

経済紙のタイトルに『電子書籍大ブレーク』と言うのがありました。 採用面接で「本を読みますか?」と聞くと「よく読みます。 今年は4冊読みました」と言う返事が返ってくることがあります。

私は読書は好きなほうですが、年間60~70冊程度で、よく読んでいる人に比べると恥ずかしい冊数で、殆んどが小説です。

電子書籍が大ブレークすると皆たくさん本を読むのか?疑問です。

テレビドラマや映画をテレビで放映するのを見る人は読書をしない人より多いと思います。 私は本を読んでドラマを見るとがっかりすることが多いです。 本を読んだ時に思い描いた情景や登場人物のキャラクターが想像とはことなり、何か偽者を見せられているように感じます。 だからあまり映像を見ないようにしています。

本を読む効用はいろいろ想像する点にあると思います。 描かれていないことの情景を想像したり、私ならこのような行動をとってこんな結果を望むだろうとか、読み進むうちに想像が膨らみ、二度目に読むと一度目に読んだ時描いた情景が蘇ったりします。

映像でも同じことが出来ると思いますが、私の場合は文字情報のほうが想像の幅が大きいのかなと思います。

例えば紅葉の情景を読んだ時、過去に見た一番美しい紅葉の景色が思い浮かびます。 白山釈迦岳に登った時、前日の雨に濡れた紅葉が曇りの淡い晩秋の光りでみずみずしく見えた景色です。

もし映像なら最高の紅葉を最高の画面で見たとしても脳裏の紅葉に勝てないばかりか映像が忠実であればあるほどその差を感じてしまいます。

 

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