監査役BLOG

会社を見る鳥の目

経営者の目線で、日々の思いやできごとを綴っていきます。

[会社運営]

ノルマ

ノルマは労働者に課せられた基準で未達の場合にペナルティとして賃金を減額することは労働基準法で罰則を設けられているそうです。

採用面接でノルマの制度についてよく尋ねられます。 営業職について多いのですが、当社の営業職についても経験上の販売目標値が設定されています。

面接でこの質問が出た時に『ノルマの定義は何ですか?』と質問を切り返します。 一人として明確に答える人はいません。 イメージとしてノルマ未達、同僚の面前で罵倒されるなどパワハラを受けるといったイメージをもたれているのでしょうか?

多くの営業会社で成果を上げた人が昇進をしたり、賞与が多かったり、恩典がついて回りますが成果を上げても上げなくても同じ評価という会社はまれだと思います。 先日営業職を退職した人とばったり出会い、『新しい仕事は順調ですか?』と聞きました。 年収は当社にいた頃より増えたそうですが、実績を上げても上げなくても評価が変わらないことに不満をもっているようでした。

何が公平か労働法も行き過ぎたやり方を禁止すべくルール化しますが、ルールの運用次第では逆不公平になりかねません。

あるメーカー営業が押し込み売りに来られました。 押し込み売りとは必要在庫量を超えて仕入れを依頼するもので、その月の販売目標を達成するための方策です。 今まで取引のあった大企業でも依頼がありました。 外資系の製薬メーカーでは予算を1円でも未達なら賞与は0になるという極端な話をされていました。

当社ではそのような方法をとりません。 販売は現在では科学的と言ってよいほど洗練されてきていて、未達罰則のある販売目標の設定など継続した売り上げにつながる施策とは考えられません。 応募者にそのような説明をすると安心されます。

その時私は『誰も未達を叱ってくれない、怒鳴ってもくれない、自分で考え、仲間に相談し、管理職に応援してもらいながら販売数値を目標に近づけてゆくことの大変さ』を想像していません。 訪問を繰り返し、日報にその日の行動を記載し、それらの作業をこなせば許されると考えているようです。

営業の仕事は作業の完成ではなく成果の多寡を問われる仕事です。 成果が出なければ苦しみ、独自の販売方法を見つけて高い成果を上げると評価される仕事です。 営業はマーケティングの世界、創造的で科学的なお仕事です。
そんな知的な仕事であることを理解してほしいです。

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[会社運営]

チームワーク

採用面接をしていて応募理由を聞くと『チームワーク』を理由に挙げる方がたくさんいらっしゃいます。

チームワークそのものの定義はあまりぶれないと思いますが、チームワークをなぜ行うのか、どのように活用するのか、は様々です。 少なくとも当社でチームワークは方法手段、スキルであって目的ではありません。

例えば綱引き競技、全員が一致して同じ瞬間に最大の力を発揮することが求められます。 メンバーの一人一人が順番に最大の力を出すとすれば有力チームも負けてしまうでしょう。 綱引きでもそうですが、チームワークの目的は単純に勝つことです。

応募者がチームワークに関心をもった理由を想像すると『チーム内で教えてもらえるから』、『全体責任体制で個人の業績について責められることがないだろう』などと想像します。 ここで話題にしている応募者は営業志望の人です。

営業は個人成績が明確な仕事、個人の努力、個人の成長が解り易い仕事です。 応募者先行のキーワードの主語は『自分』である人が基本的に求める職業だと思います。 自分が、自分がとあまりに自己主張する人は協調性など問題を感じることはありますが、その自分が成果を残せなかったときに潔く認める人もいます。 テニスや卓球シングルス、フィギアスケートは全く個人競技、優勝会見で見せるチャンピオンの言葉は自分が主語で嫌味を感じるときもあります。

当社は小さい規模から中規模を目指す中で、営業に限らす戦略・スキルの徹底を図るべくほとんどの部署で小集団による活動を行っています。 小集団の機能は分業された業務の徹底(スケジュール、品質等)、リーダーによる教育等多岐にわたります。 小集団がうまく機能しなければその部署の管理職が指導します。 分業されている場合、小集団の一つがうまく機能しなければ小集団の所属する組織の成果が著しく毀損します。 つまり当社の小集団活動は個々人の成長や成果があぶりだされる仕組みで、全体がうまく機能したときに綱引きの例のように最大の成果が生まれるようになっています。

逆にうまく機能しなければ持てる力の減衰が大きく、成果におけるブレの大きい組織運営をとっています。 それをわかってチームワーク、チームプレーを志望理由として挙げるなら優秀な方と思います。

チームワークがうまく機能するのはチーム長のマネジメント力、指導教育の力、企業文化等多くの要素が絡み合ってきます。 その調整は大変複雑で汎用できるレシピは無く、人事考課の点数配分を少しいじった、複数のチームをまとめた、または分解した、残業を減らす指示をした等微妙で、それぞれの方策のウェイトや順番が大変重要になってきます。

経営者は試行錯誤を繰り返しますが、そのような会社運営に出会ったとき、ここの会社のトップは天才か?と思うことがあります。

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[社会]

新聞の記事を丹念に読んでいると ?と思うことが時々出てきます。 例えば中国と米国の国力比較では一部の指標で中国が勝って糸推定されていること等です。 購買力平価、GDPなどです。 中国の統計の信頼性は低く、正確に比較できないのでしょう。

少し前に見た中国映画でチベット地区の平均的チベット人の生活を描いた映画を見た時、チベット地区も中国であることを前提に登場したチベット人の食べているもの、着ているもの、決して豊かに見えません。 ラサに巡礼に行く途中で一家の若い娘が巡礼に行けなかったおばあちゃんに電話を掛けます。 その携帯がアイフォンの最新モデルだったのも?です。

北海道函館出身の友人と話をしていて、北海道に産業もないし雇用もない、函館の旧市街は全く寂れていて、一部観光地を除けば全く昔のままである。 自分のように若くして北海道を離れた人間は北海道の事はあまりわからないとのことです。 私は北海道のツーリングで函館のような大都市は通過するだけ、それが寂れているという印象はありませんでした。 中国と米国の国力比較のようなデータは同じ日本の中ではかなり正確に統計で解ると思います。 おそらく経済規模で比較すれば函館は小さい街になります。 人口26万人は八尾市、寝屋川市に匹敵します。 全国的な知名度では函館は高いでしょう。

先程窓から生駒山を見ると木々の一本まで見えるほど空気が澄んでいました。 空気が澄んでくると距離が近く感じられます。 かつて中国の山を登りに行って標高4500m付近でのこと、昼間でも天空に星が見えます。 空気は大変澄んでいて谷を挟んで向かいの山の岩の一つ一つまで克明に見えます。 友人に向こうの山まで行けるだろうかと聞くと『とんでもない、30㎞はあるぞ』と言われびっくりしたことがあります。 先程の窓から見える生駒までの距離が近く、歩いて行けそうに思えました。 途中は建物が連なっていますが、せいぜい数時間で行ける距離、大阪という日本3番目の大都市はせいぜい函館市より面積で小さいのではと思いました。

何かの情報に触れて『おや!』と思うところから何かが始まるように思います。 大阪がこんなに面積の小さい都市なら規模拡大を狙う上で東京に進出するのは当然の話題、売上営業利益率が1%以下なら事業撤退、実際に撤退できるがどうかわかりません。 ちなみに1億円の売上に対して営業利益率1%は100万円、リスクも考えれば撤退が妥当でしょう。

『おや?』と感じるセンスはなかなか磨く事が出来ません。

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[会社運営]

ホウレンソウ

ホウレンソウとはよく言ったものです。 もちろん報告、連絡、相談の事ですが、これは自分が上司に行う基本としての言葉のように思います。 ところが現実には上位のものが下位のものにホウレンソウが必要です。 指示を出すと『そんなことは聞いていなかった、相談がなかった』等で指示が誤って解釈されたりすることがある。

かつて相談という意味で『こうすればどんな影響がありますか?』と尋ねたことがあり、社長はこのように考えているから何とかしなければならないと大騒ぎになりました。 言わせてもらえばそれぞれの仕事をこなした事は無く、全く知見のない仕事もあります。 そこで『仕事の流れを教えてください』と聞けばおそらく大さわぎにならなかったのでしょうが、想像力を働かせひと手間ぬいたわけです。

情報の中には社長にしか入らない情報があります。 私は社内では個人情報を除き開示することにしていますが、そのために多く宛先に誤解のないような文章で情報を流します。 大変面倒なことですが、逆の流れが全くない管理職の割合も大変多いです。 ホウレンソウの優れた会社から転職してきた人はホウレンソウの達人のように見えます。 些細な情報も流していただけるので面倒くさいこともありますが、ホウレンソウの社内規程があって基準を設定しているわけではありませんからその人の基準で連絡事項をきめられます。

ある管理職は大変有能で、自分の舞台での問題が発生すると第一報が発信されます。 その後経過はなく、その管理職が問題を解決したのち解決報告とお詫びが飛んできます。 私は一度文句を言ったことがあります。 『なぜこの件を報告してくれなかったのか?』、『以前、そんな些細なことは報告していらないと言われましたが、報告した方がよいですか?』としれっといいます。 腹が立ちます。 自分の落ち度を正確に指摘され、自分に腹が立ちますが、報告してほしい基準は日々微妙に揺らぐのも事実です。

私は一時期『朝改暮令が多すぎる』と批判されました。 私は正しい判断を早くすることを良しとしていました。 指示を求められ、瞬間に答えて何か引っかかったとき、もしくはそののち引っ掛かりが出てきたとき再度考え修正案を夕方に出します。 では初めから夕方に回答すると言えば朝改暮令が減るかと言えばそうとは限りません。 朝改翌日令が増えるだけでしょう。 一回判断し、判断を前提に頭の中で趣味レーションしているわけですから頭は一回答えを口にしないと改める案も導いてくれません。

不透明なことではシュミレーションの過程で判断の修正が行われます。 少し前に碁で世界一の人がAIに完敗しました。 AIが誤の世界でまだまだ勝てないと言われてすぐに勝ったのです。 語でAIが勝てないと思われたのは選択肢が多いこと、経営も同じです。 選択肢を判断するホウレンソウが多ければ趣味レーションで判断が覆ることが少なくなります。

以前は私への管理職のホウレンソウがなっていないと思っていました。 しかし私が何に興味をもっているか(経営判断として)知らなければホウレンソウの精度は低くなります。 制度を上げるため、例えばこんなことはどうですか?という相談をします。 私の関心事が質問に凝集されています。 その副作用は別としてこれがうまく行く方法と確信しました。

ところが相談役になって代表を支える仕事になると『おいこら代表、質問はもっと工夫せい、バカもん』となってしまいます。 全く自分の性格に嫌気がさします。

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[経営]

相談役

7月28日の取締役会で私は代表取締役でなくなりました。 前期末は取締役改選期、取締役に選任されてそのあと新取締役による取締役会で私以外の取締役が代表取締役に選任されたという事です。

当社の株はある法人が100%保有していて、私は代表をしていますので自分を選任し、代表にならなかったという事です。 代表取締役はほとんどの企業で社長の肩書により会社の全権を掌握して全責任を負う立場と理解されています。

そのような側面もありますが、全権をもって権限行使することはだれも反対できないわけですし、全責任を負うという事も考え合わせると大変な重圧です。 10の決定をなして8が誤りで2が的を得ていれば8の誤りはいつまでも脳裏から離れません。

うまくいったことはそこで終わりますが、誤ったことは情報をうまく収集できなかったのか可能性の検証が不十分だったのか、あらゆる観点で原因を考察します。 長いときは数年考え続けます。 もちろん同じ誤りを犯さないためですが、年に100の決断をなして10年立てば1000の決断、800の誤判断があればまるで自分は過ちばかり犯しているように錯覚してしまいます。

誰が行っても誤判断は同じような確率で発生し、同じように経営の足を引っ張りますが、正しい判断の貢献が大きく誤判断を上回る成果をもたらしてくれたおかげで会社は適度の成長を遂げました。 これからは意見を言い判断に関与してもすべての責任を背負わなくてもよいので少しは気が楽になりました。 さっさと身を引いて新しい人生を歩みたいと思いつつ、残務整理=自分の判断ミスの整理にあと二年程度は平取締役で現場に近い役割を担いたいと考えています。

取引先の人の反応はまちまちで『院政を引くのだろう』や『そうですか、これからはのんびり暮らせますね』とかいろいろです。 しかし私はどちらも選択しませんし、出来ません。 院政を引くぐらいなら堂々と代表を続けますし、のんびり暮らすほどの余裕もありません。 45歳から当社にお世話になって18年、ひたすら走ってきたのでやり残したことが山積です。 残務整理もそうですが、旅行や好きな小説を読むこと、友人と楽しく過ごすこと、勉強したいと思っていたこと、のんびりという言葉はふさわしくありません。 一言で言えば貧乏性でじっとしていられないのでしょう。 性格は変わらないのでこのブログもタイトルを変え、引続き書いてゆきます。

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[趣味]

ゴルフの不思議

私は最近ゴルフを始めました。 前にやっていたことがあったのですが、指が痛くなってやめていたのを再開し、たまたまお付き合いで回ったコースがよかったので問い合わせをしたら、ちょうどその時そのクラブが年一回の会員縁故募集若干名の受付期間で、問い合わせた人が『締め切りが迫っているので早く申し込みをしなさい』と親切に教えてくれてメンバーになりました。

そのコースは格式が高いらしく、メンバーも少なければキャディもついて、ネットからの会員外エントリーは認めていません。 したかってプレーしているのはほぼ会員か会員同伴の人です。 1日最大40組しかプレーできず、早朝プレーも8時前くらいからです。

したがって空いており、ゆったりプレーできます。 コースもよく手入れされていて、ラフの草丈も長く、グリーンもなかなか難しく設定していて私のような高齢者ビギナーには手ごわいコースです。

6月から8月は上着着用は免除されますが、それ以外は上着着用で、下に着るものは襟付きと規定されジーンズ・半パンは原則禁止です。 先日もウィークディに回ると15組のエントリー、昼食のレストランもプレー後の風呂も我々だけという貸し切り状態でした。

私は車がないので同伴の人に迎えに来てもらうかレンタカーを借りてゆきますが、ある友人はそんなコースに行くなら高級車で行かねばならないとアドバイスを受けました。 大阪から近距離のコースなのでそのうち軽自動車を買おうと思っていたのでショックでした。

20歳代でテニスを始めた時、ウェアーは白を基調にしたポロシャツに半パン、靴のラバーソールの黒いものはダメと言われました。 ラバーソールが黒いとハードコートでは靴底のゴムの跡がつくとかでなるほどと思いましたが、ウェアに関しては最近色物をとやかく言わないように思います。

ゴルフの話に戻って、細かいマナーの話は多くグリーン上で走ってはいけないとか、ホールに入ったボールをとるときはしゃがんで取るのは格好が悪いとか、とにかくうるさいのですが慣れた人にとっては安心のルール、守れるような人でないと見知らぬ人とプレーできないという事でしょうか。

このようなしきたりは会社などの組織でも多く見られ、仲間意識を高める効果があるのかもしれません。 保守的な組織では顕著で、宗教団体とか警察とか国家公務員とかの組織は皆そうでしょう。

逆に米国IT企業のように創造性を働かさねばならない組織ではネクタイをしている人はいなくてTシャツにジーンズでテラスでノートパソコンを開いて仕事をしているのを見かけます。 仕事の連携は進捗管理で行われ仲間意識があるのかないのかよくわかりません。 想像するに何十年もそこで働く人はまれで、個々人のキャラが尊重されるのでしょう。

ちなみに私が会員となったクラブは高齢者が多く、保守的という言葉がぴったりくる感じです。

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[生活]

[習慣化]

目標に集中

私が学生だった頃、定期テストの成績はさっぱりでした。 しかし出題範囲が広い実力テストは好成績でした。 好奇心が旺盛で『この範囲から出題します』と限定がつけばとたんに興味をなくします。 何が出題されるかわからないことはテストとはいえワクワクしました。

これは悪い癖で、今でも治っていません。 退屈な会議や興味のない面談で居眠りをします。 初めは無呼吸症候群が原因かと思っていたのですが、興味がなくなれば話を聞いているだけで前を見ていた視野が白くなり、次の瞬間に眠りに落ちます。

興味をもっていること、設定した目標からぶれないようにするために目標にしていることに沿った行動を項目化して10日計画表を作成し、出来た項目に〇をつけていきます。

例えば体重を70キログラム以下に抑える、食事量を控える(これは目標管理項目にしていません)、筋トレを行う(腹筋30回で〇一つ)、5千歩けば〇一つ等、10日で200個の〇を獲得するというものです。 何年も続けていますが、〇が100個強で200になりません。

最初の対策は目標を見直すことでした。 実現可能な目標か、それは本当に目標にすべき項目か、現在の年齢、ポジションを考え健康にかかわること、老後の人生に役立つこと、趣味に関わること等将来に向けてのことが中心です。

次の対策は時間がないという言い訳封じです。 とにかく半端な時間を切り詰める、一つの行動が完結すれば間を置かず次の行動に取り掛かる、疲れてしまえば散歩など気分転換を図るか思い切って寝てしまうとか時間管理に終始する対策です。 ところが昔ならできた根を詰めた作業がだんだんできなくなりました。

これでは生産性が上がらない、ずいぶん考えましたが、早く寝て早く起きて出勤前までに出来るだけ詰め込むというものでした。 5時に起きて出勤までの3時間30分、必死で筋トレや新聞読みなどをします。 朝起きてすぐの時間はゴールデンタイムで生産性はなかなか高いです。 今も続けていますがその後の時間、特に昼食後だれてしまいます。 ダレないように食事を抜き、空腹な状態を維持します。 さらに疲れたらすぐに寝る、睡眠の質を高めることに工夫しています。

要は年齢相応に体力が低下して、十分な休養、集中を心がけることにしました。 新たな興味が生まれれば集中できるのでしょうが、新たな興味が次々湧いてくるわけではありません。 修行僧のごとく生活のリズムを整え、ひたすら習慣化して苦痛を和らげ実績を積む以外に自分を高める事が出来なくなってきました。

 

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[社会]

NHKの陰謀

 NHKがネットで番組をオンディマンドで流す計画があるようです。 TVを持っていれば受信料を徴収するという法律がある以上TVがなくてもスマホやPC、カーナビを持っていれば受信料を徴収するというものです。
 
 どこまで押し売りをすれば気が済むのか計り知れない傲慢さを感じます。 時代錯誤の法律をなくそうとする国会議員がいないのにもあきれてしまいます。 見たい人は有料で専用チューナーを買って見るようにすればよいと思います。 そうしている放送局もあります。

 受信料不払いの訴訟も多くされていますが、それがいかに合理的な論点であっても法律に規定されていれば払わざるを得ません。 日本は自由主義の国、与党の名称は銃の文字がついているのに管轄の総務大臣が疑問を呈したことは私の記憶にありません。

 ところが憲法に絡めて違法性を主張した最高裁の審理で原告勝訴の可能性が報道されました。 やっと来たか、という気持ちです。

 そもそも日本ではTVがメディアの中心から脱落しつつあるように思います。 一般の人は何から情報を得ているのか、新聞も読まない、本も読まない、という人たちはほとんどネットで好きな情報を集めています。

 私の場合、本と日本経済新聞電子版です。 この日経電子版が曲者で、ある記事を読むと関連記事のリストが出てきます。 そして私のIDで閲覧した記事から傾向をAIが分析してタイトルを繰り出してきます。 読めば読むほど関心ある記事が出てきて、気が付けば数時間が過ぎているということがあります。 紙の新聞を読んでいたときはせいぜい一時間で読み終えていたのですが。 新聞中毒のようなものです。 その電子版を日経はスマホで読むことを進めています。 老眼の身としてはスマホで新聞を読むのは大変苦痛です。 隙間の時間で世の中の動きが解るということなのでしょうが。

 この電子版購読料は月額約五千円、安くはありません。 しかしお金になる情報を取得できるのであればPCの大きな画面で読んで、必要に応じてノートに記事の要約を書けばお金儲けのヒントになるように思います。 そう思うと電車での移動時間にスマホで読むのはよろしくないように思います。

 私の場合、電車で移動している隙間の時間は何かを考えています。 昔の人は情報が少なく、情報至上主義で、情報をもつものが勝つといった意識が強かったと思います。 多くの普遍的情報を詰め込んで物事を判断し、それがよかった時代です。 しかしその時代は考える時間も多くあり、成功者の伝記を読めばいかに多く時間を考えることに費やしていたかが述べられています。 断片的な知識を詰め込むことでは大きな成果を生み出せないかと思います。

 日本の教育は知識至上主義の時代に生きた人が作り上げ、結果的に日本の大学の世界ランクは低下しています。 世界の大学ランキングは信頼に値するか知りませんが、人が寄り集まって何かの話題、例えば健康の話題になったとき多くの人がネットで仕入れた話題の披瀝合戦になります。

 どの話題も一定の事実なのでしょうが、多くの場合大した価値をもちません。 自分が知っているという優越感を満たすだけのものです。 世に役立つことを考え抜いてお金を儲けてはいかがでしょうか?

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[価値観]

[生活]

子供のころの価値観

私の母親の生年は昭和元年、1925年です。 92年前で、その後第二次世界大戦を経て戦後のハイパーインフレを20歳代に経験しています。生まれてから戦後までは軍国主義の中生活物資が不足する時代が20歳まで続きます。

モノの値段が上がる、お金を出しても物が買えない価値観を刷り込まれた母はひたすら安売りで物を買い集めます。 以前もこのブログで書きましたが醤油が5リットル棚に入っていたのを見て愕然としました。

父親に買い置いた肌着を父が他界したとき貰いましたが段ボール箱一杯で、なかなか減りません。 整理ダンスに入っている古い肌着を見るにつけどうしたものかと思います。

男性友人の何人かが『肌着は1シーズン立てば全部捨てる』と言ってました。 そのようにできない自分は母親の価値観が刷り込まれているのかと思います。 物を大切にする価値観が悪いと思いませんが、同年代の友人の親は私の親と同年代、刷り込まれた私と刷り込まれなかった私の友人、何が違うのか、所得、職業、思い当たるものはありません。

カーシェアリングは節約の考え方からきていると思いますが、所有することに執着の無い考え方です。

もう一つ親の世代の価値観と大きく異なることが法事、中元歳暮、出張時の土産などの贈答、私は宗教に関心がなく、浄土真宗の檀家から外れたいと思っています。 中元歳暮を贈る事は無く、出張やプライベートの旅行で土産を買いたくない方です。

これら風習に代わるものは人間関係を潤滑にするうえで必要なことだと思います。 節約は方法手段、対象物は変われどもこれからも工夫してゆかねばならない事だと思います。

企業経営でもこれら風土は大変重要で、ひたすら従業員の人件費をケチったり残業させたりすることが重要との考えもまだあります。 人件費は販売管理費の中で最大費目ですから削減する方法は常に考えねばなりません。 個人別の賃金を上げない⇒生産性を上げて賃金を上げる⇒労働生産性の低い事業からの撤退等個別企業内のものから国のトレンドまでいろいろあります。 企業は利益の確保のためにいろいろな戦略を考えます。

個人に振り替えれば所得の最大化、貯蓄の最大化、プライドの維持(所得に見合わない高級車を購入する等)、企業の規範より多様な価値観に左右されます。 一見矛盾する個人の行動はそれがその人の幸せにつながるからで、擬人化して企業の幸せを利益の最大化と定義するのはあまりに短絡に思えます。

ある企業は100年続いていることから経営の継続が大きなテーマになるでしょうし、ここ最近に設立されたIT企業は100年後を考えていない可能性が高いと思います。 経営において100年後の展望が重要がどうかはさておき、基本を外れて価値観を風土化すると問題があります。 よく言われるのは企業経営では経営の継続が大きなテーマという事です。

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[生活]

夏の過ごし方

写真は夏に北海道へバイクツーリングに行った時のものです。 山の中の道道を走っていてあまりに美しい湖の景色に見とれ、撮ったものです。

昨年は7月に行って大変涼しく、道東は特に快適でした。 7月に入ると観光客で賑わう北海道では宿の手配が大変です。 予約せずに行くので走れる範囲のユースホステルや徒歩宿に手当たり次第で当たるのですが、思ったところに行けず同じエリアをぐるぐる回ったりせざるを得ません。

今年も暑くならないうちにどこかに行こうと思っていて、7月に入ってしまいました。 大阪より西は暑くて山岳地帯しか走れないでしょうし、北海道に行くほど休めません。

おそらく日本で最も暑く湿度の高い大阪で過ごすにはエアコンと扇風機は必須です。 私は暑がりなので炭水化物を控え、出来るだけ食事を控えます。 食べた瞬間から体が発熱するので多く食べる事が出来ません。 体が冷える野菜を食べて水分をとって夜の睡眠に備えます。

最近熟睡できないので対策が必要と思っていますが、通気性の良いマットレスを買おうかと思っています。 もう一つの対策はエアコンも扇風機もやめてひたすら暑さを耐え忍ぶ方法です。 炎天下を歩き、汗をかき、熱いふろに入ると外気が涼しく感じられます。

東南アジアで経済発展を遂げた国の首相がどのようにして経済発展を遂げたか質問され、エアコンの普及と言っておられました。

エアコンの無い時代は涼感を求め、涼しげな色合いの浴衣を着て打ち水をし、井戸水で冷やしたスイカなどを食べるくらいしか暑さをしのぐ方法はなかったのでしょう。

近くにある四天王寺で夏場になると水を噴霧しています。 これが結構涼しくてできれば今住んでいるマンションの屋上からミストを出してほしいと思います。 ついでに言うなら日傘代わりに太陽光パネルで影を作ってもらえればなお涼しいでしょう。 酷暑のなか事前の涼感を求める日々が続きます。

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