監査役BLOG

会社を見る鳥の目

経営者の目線で、日々の思いやできごとを綴っていきます。

[習慣化]

集中

筋トレをするとき、少しの苦痛、単調な繰り返しであるため、音楽を聴きながらトレーニングをすることがあります。

筋トレの本を読むと今どこの筋肉を使っているか意識しなければトレーニング効果が薄れると書かれていました。

なんでもそうなのですが意識しないで行うと流してしまいます。 英会話を聞くときなど流してしまえば全く何も残りません。

最近では今やっていることに最大限集中することで効果を上げようとしています。 仕事を終えて家に帰ると疲労感がとても強く、何かに集中するなどできません。 そこで朝起きた時に集中して行います。 だいたい4時から5時に起きます。 例えば4時半に起きると家を出る8時30分まで4時間あります。 この4時間は私のゴールデンタイム、新聞を読み、朝食をあきらめてコーヒーを淹れます。 この時やったことは頭によく入ります。

ゴールデンタイムをフルに活用すると昼頃、起きてから7時間半経過していますから疲れて、おなかも空いてきます。 初めは何故疲れているのか解らなかったのですが起きてからの経過時間を考えれば当然と思いました。 元々寝つきが悪く、最近さらに寝つきが悪くなってきました。 もはや午後は起きているのがやっとです。 それでもやらなくてはならない事は集中してやらねばなりません。 仕事が雑になってきて、迷惑をかけます。

他の人はどうか周囲を見回すと、みな集中しています。 たまに家で仕事をしていて、睡魔が襲い集中できないときがあります。 ソファーでお昼寝をしようと寝転んでも眠ることはできません。 眠いなら眠らせてくれ、そうでなければ睡魔よ来るな、そして夜になり眠気が訪れ、別途に入ると眠れない、眠れても夜中に目が覚めて朝の目覚めがすっきりしません。 こんな状態が続き、もし医者に診てもらうと病名がついて治療が始まります。

それが嫌で医者の診察を受けません。 自力で集中力を回復し、深い眠りが得られるようせっせと体をいじめています。

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[社会]

おっさんとおばさん

私は時々朝早くゴルフの打ちっぱなしに行きます。 4時過ぎに自転車で出発、約7㎞を1時間弱かけて走ります。 3階建ての2階打席、いつも同じ人がいたりします。 たいていはおっさん、おっさんどうしが楽し気に話を始めます。  延々と話は続きます。 聞こえてくる内容はゴルフの話、よくそれだけ毎日同じ話が出来るものだと感心します。

隣の打席で話を始められると喧しくてかないません。 他人の迷惑など考えておらず、毎朝早朝から同じ打席を占めるので離れた打席に行くことです。

話は変わっておばさんの話です。 私の近距離移動手段は自転車、自転車通行可の歩道は幅が広く、そこにいっぱいに広がって歩いているおばさんたちは他人の迷惑を顧みずゆっくり歩きながら話しています。 自分が自転車の邪魔をしていることに気づくと謝意の伝わらない言い方で『ごめんね』とか言う。

打ちっぱなし場に戻り、高齢のおっさんが黙々とクラブを振っています。 ストイックで、体も締まっています。

会社が入っているビルの掃除のおばさんはもくもくと作業をしています。 誰が見ているわけでもないのに手を抜くことがありません。 まるで修行僧のような感じを受けます。

おっさんもおばさんも陽気で話好きなひと、ストイックに何かに打ち込む人、ほとんどの人が二つのタイプの人に巡り合っていると思います。 仕事をするときも同じタイプの人たちを見かけます。 話好きな人が生産性が低いかというと総ての人がそうではないように思います。 話好きで、あちこちで無駄口をたたきながらもきちっと結果を出してくるおっさん、おばさん、ストイックにコツコツ仕事に取り組み、それなりの結果を出してくるおっさん、おばさん、当社にもたくさんいます。

自分もすでにそうですが、人生の晩年を迎えてあくせくはしたくない一方で、やりがいを求めて打ち込むことを持っていたいと誰しも思います。 60歳を過ぎて毎日打ちっぱなしに行き、多数のボールを打ったとしてもなかなかシングルになれるわけではありません。 それでも顔をしかめ、首をひねり、ひたすらボールを打っている人を見るにつけ、ほかに何かないのかと思います。 なぜなら平日の早朝から数多くボールを打てる人の多くは決してお上手ではありません。 わき目も振らず、打ち込める趣味は打ち込むことに重点があり、コースでのスコアに関心ないのだろうかといぶかります。

自分がもうすぐ介護保険証を貰うそれなりの高齢者になり、今更ながら生きがいとか社会への帰属を意識します。 だんだん我儘になってお付合いが面倒になると高齢者は組織に属して働かない場合はたちまち孤独になってしまいます。 孤独になると生きがいを見つけてそれに邁進する範囲が狭まります。 つまり生きがいや目標が描けず、孤独感がさらに深まります。

私はその入り口に立っていて、今更ストイックに毎日クラブを振る人生を選ぶ事が出来ません。

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[生活]

ハンター

営業職のタイプとしてハンター型とファーマー型が話題になります。 ハンター型は開発が得意な営業、ファーマー型は既存取引先のおもりがうまい営業です。

さて自分はいったいどちらのタイプか、と考えることが昨日友人と話していて話題になりました。 その友人は長年の付き合いの中で私の行動パターンや価値観がつかみきれず、話題にします。 例えばお金の使い方、私は節約が趣味と言えるくらいの人間ですからお金の使い方は地味です。 先日も東京に出張する新幹線のチケットを一番安く購入する方法を考え、JRの窓口まで行って回数券を買いました。 そのためにかなりの時間を使い、結局正規料金より出張旅費が4500円ほど安くなっただけです。

しかし一番安く買う方法を見つけ、達成感はありました。 日常生活でも同様の努力を繰り返しています。 このような行動パターンがハンター型の特徴かといえばハンター型の営業の特徴とは思えません。

一方ファーマー型の特徴として同じことを繰り返すことがあります。 手を抜かず、繰り返します。 そして蓄積することに価値を見出します。 私の行動として趣味的節約を心がけて預金通帳の残高が増えることに感じる喜びは小さなもので、通帳を見るのは不明な引き落としがないか、残高が不足していないかをチェックするためにみているだけです。 お金を極力使わないので少しずつ預金残高が増えてゆきます。 口の悪い友人は『お金は使うもの、墓までもってゆけないぞ!』と言います。 自分が死んだあと遺産を寄付しようが子供が使おうが知ったことではありません。 そんなことより無駄にお金を使いたくないだけです。

そうはいっても服は買いますし、食事もすればゴルフもする、趣味のバイクにもお金は使います。 しかし服はバーゲンで買ったものが流行遅れでも(もともと流行しているものに関心がないので関係ありませんが)傷んでいなければ着続けます。 この前ゴルフシューズを見たら裏のスパイクはなくなっていましたし、表面は劣化して破れかけていました。 クラブも折れない限り買い替えませんし、新品のゴルフボールを使うことはありません。

私見ですがファーマー型の典型はモノを持つこと、その人の家に行けば色々な物が溢れています。 物置には木箱に入った花瓶がいっぱいあり、ついにその花瓶を使ったことがないようなお家です。 家の中の物財は少なく、すっきりしている家はファーマー型ではないのかと思います。 事務職の人が古い会議資料を丹念にファイルしていたり、引き出しにぎっしり文房具が詰まっていたりです。

私もかつて事務職だったころはこのタイプの人間でした。 今は前述のお金の使い方そのもので、必要のないものは買わないし使わないもの(この一年に一度も着たことのない服)は極力捨てるようにしています。

そもそもハンターで生きてゆくには持っているものは最低限で、必要なものはいつでも入手できる(すぐに入手できなくて不自由をすることはあるでしょうが)から生活し続ける事が出来るわけです。 ファーマーの成果は農産物、比較的保存がききます。 ハンターは獣や魚を取って干し肉や干物にできでも長期保存はできません。

これも私見ですが、現代のハンターはスポットでお金を稼ぎ、お金で成果を保存するタイプ、もしくはお金を使ってしまって人脈として残しておくタイプではないでしょうか。 家をももたず、莫大な金融資産があるもののホテル暮らしをしている人が現代の典型的なハンターの生活ではないでしょうか。

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[会社運営]

会議

企業内では多くの会議が開催されます。 昔勤め人をしていた時に総務に所属し、総務関係の雑誌を読んでいてびっくりしたことがあります。 ある都銀の店長会議、その銀行で取締役は40人弱、店長は何百人にも及びます。 北海道から沖縄まで店長はすべて、そして取締役総てが出席し、1回の費用が数億円前後と莫大です。 これだけ大きな会議は会議というより大会みたいなもの、記事のテーマは会議コストで運営方法などには記載されていません。 質疑はなく、テーマごとに担当取締役が説明するといったもの、もちろんそこで店長は情報交換をするので意味がないわけではないでしょうが。

当社で社員総会が一番大きな会議兼懇親会、人件費も考えると2百万円近くかかります。 年2回、そこで懇親した人たちが以後会社の中で認知しあい、情報交換し、助けたり助けられたりするので決して無駄になっていません。

管理職だけで行う10名以下の会議はよく行います。 だいたい移動時間やそのあとの情報交換を含め、3時間程度です。 コストは10万円強でしょうか。

会議は必要ですし、コストも時間も節約したい、そのため会議時間を短縮する工夫がなされています。 会議はすべて立って行う会社があると聞いたことがあります。

時間短縮で言えばあらかじめ終了時間を設定しておく、議題と資料は事前配布、会議の仕切をうまく行うに尽きるようです。

会議の目的を考えると決議する場、情報共有の場、意見のすり合わせなどいろいろあります。 情報共有は通知だけでよければポータルサイトに掲示しておけばよいように思います。 意見のすり合わせの場で意見が出ないなら何らかの原因が考えられます。 人間関係からみた場合、こんな初歩的なことを考えなければならないのはうんざりしてしまいます。

会議にまつわる問題の多くが問題とならない会社の話も聞きました。 会議をしないとのこと、創業社長が総ての決済を行うようです。 経営者の以降は徹底するようですが、経営者は面倒くさいでしょうね。

会議の隠れた究極の目的として私は社員教育の場を意識しています。 『それは質問と答えにずれがありますね』とか『質問の意味が解りません』とか繰り返しているうちに言われた人は徐々に論理思考になりますし、ポイントを煮詰められるようになります。

このように会議で議事がスムーズで質問も出て、答えも返せていきあるものになるために多くのハードルを越えねばならず、この作業が完成しなければ指示を出してもまともに通じることなくグダグダになってしまいます。

 

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[会社運営]

三枝 匡氏

題名の人は有名な経営コンサルタント、経営者です。 一橋大学を卒業後大きい会社に勤務、その後BCG(boston consulting group)で勤務、帰国後コンサルティング会社を興し、請われて会社の再建などを手掛ける。 上場企業の社長も任され、13年間で年商500億円の会社を2000億円まで拡大させた人です。

経歴を言えばコンサルタントではなく経営請負人でしょうか。 私は今までコンサルタントと言われる人たちと何人もお話しし、『一緒にコンサルタントをしませんか?』と誘われたこともありますが、実際の経営と理屈は異なり、私は実務を好むので断りました。

三枝氏はコンサルタントとしても世界で有数のコンサル会社で頭角を現し、日本で華々しく成果を上げたという意味ですごい人と思います。

たまたま日本経済新聞の記事で氏の著作を読むことになりました。 実践的な内容に得るものも多く、多くの人に知ってもらいたいと記事にしました。

その中で大変気になることが書かれています。 人の問題で、浪花節、マキャベリ、根性など経営学では出てこない言葉が出てきます。 こんな言葉を経営の書籍で見ることはまれで、学術ではなく現実のにおいがしてきます。 現実の世界では当たり前に起こること、そしてお金を稼ぐすべとして分野別№1を目指す姿勢は実践的でもあります。 日本人にこのような人がいたのは驚きでした。

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[社会]

人口

東京で働いている仕入先の方と東京の人口について話す機会がありました。 『江戸川区は人口密集地でたしか100万人を超えたとか・・・・』と言われて大変驚きました。

かつて東京に出張したとき、世田谷区の人口が84万人と言われて大変びっくりしたのを思い出しました。

ちなみに大阪で一番人口の多い平野区は20万人弱、都道府県で一番人口の少ないところは鳥取県で57万人、100万人を切っているところは9県、これから考えても東京は異常な人口です。

改めてネットで調べると江戸川区は69万人、世田谷区は92万人、数字は違っていましたが確かに大変人口の密集しているところです。 東京23区で944万人ですから途方もない数です。

経済的な側面で、人口密集地で人口が多いところでは効率化が図られます。 求人が多く求職者も多い、顧客はあまりに多く、大阪で顧客を奪い合っている介護業界からすれば夢のようなところです。 しかも隣接県である神奈川、千葉、埼玉、茨城などいずれも人口が多い県です。 関東を合わせると役6千万人、という事は日本の人口の半分という事になります。

一方関西エリアはほとんど人口の増加はなく、関西合わせて22百万人程度、関東の3分の1強です。 大阪に長年住んでいると人口は横ばいながらインフラは整備されていて、交通機関の乗降で列を作って待つこともなく、渋滞も減ったように思います。 さらに住みやすさが増して、快適に暮らせていますがスカスカになった大阪市の中心部は商業ビルが次々分譲マンションに変わり、大阪の経済はどうなるのかと危ぶまれます。

私が会社にいる間、もしくは元気でいるあと10年程度は大きな様変わりはないでしょうが、小売店の多くはシャッター街のように閉店が目立ち、最寄りの鉄道の駅からバスに乗らねばならない戸建て住宅は全く買い手がなくなってゴーストタウンになり(すでになっている所もあるようですが)周辺から中心に向かって広がってゆくと思われます。 そうなればもはや地域経済として成り立たなくなり、通り将来には限界地域になりはしないかと悲観的になります。

大阪が遠い将来に人が住むうえで暮らしよい街に生まれ変わるには今までのように東京対比で背比べしても意味がなく、今まで違うコンセプトで街づくりをしてゆかねばならないと思います。 気が付けば人口規模は小さくても暮らしよく、物価も安定していて働く場所も十分にある街に変貌を遂げてほしいと思います。

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[生活]

お客様

最近忙しく、なかなかブログも書けません。 私は朝が早いので朝早く会社に行って仕事をすればよいと思い、6時に家を出て歩いて会社に向かいました。

会社まで徒歩15分、総長は気持ちがよいものです。 突然話しかけられました。 高齢の女性、『おはようございます』と言われましたがどなたかわかりませんので自分でも不思議なくらいの笑顔で『おはようございます』と返しました。

私の笑顔の中に不審の表情があったのでしょう、『薬局でお世話になったものです』と言われ、いつも処方箋をもって来られていた方でした。 自分の顔がさらに綻ぶのを感じ、その方も素晴らしい笑顔で返してくれました。

本当に気持ちの良い出会いで、おそらく最後に私がお目にかかったのは10年ほど前、それも数度お会いしただけの人に、しかも私は薬剤師ではないので投薬はしていません。 そのころ薬局の店内で問題がないか立って店内を見ていただけでした。

地域密着の仕事をしていると知らぬ間に顔を覚えていただき、また来ようと思っていただいたと思います。 そう思うとうれしい気持ちになる一方で、当時を振り返ると問題山積、険しい表情で薬局に立っていたと思うと身の引き締まる思いです。

薬局のお客様は患者さま、柔らかい笑顔で接客すべきところを怖い顔で立っていた自分を思い出して失礼なことをしたと反省しきりです。 それでも10年の時を経て笑顔を向けていただいたことはこのような事業をしてきて至福の時です。 いつまで会社におられるかわかりませんが、これからも自分の立ち位置をお客様に合わせゆきたいと思いました。

昔『早起きは3文の得』ということわざをよく聞きましたが、初めて早起きの得をした気持ちです。

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[趣味]

バイクツーリング

5月も下旬になり、寒く無くなくなったというより暑くなってきました。 今ツーリングに行かなくていつ行く、とばかり友人に連絡し、いつもながら横着な私は計画を相手に委ねました。

私はオートバイで走るのが楽しみ、友人は長くバイクに乗ってきたからかツーリング先でごちそうを食べたり、温泉につかったりが楽しみの人です。

今回は美山町、鯖街道をへてそばを食べに行くというものです。 旅の楽しみの一つが現地で何か食べることはTV番組企画でもよくつかわれるもので、それだけ人気があるのでしょう。

私は昔から大阪に住んでいますので大阪にいておいしいものを食べる事が出来るのでわざわざ現地のおいしいものという要求はありません。 一人のツーリングでは毎食コンビニで何か買って済ませます。 珍しいものを現地で訪ねてがっかりした経験が多すぎるのでしょうか。

何人かのツーリングではこの目的のすり合わせが結構大変です。 宿泊も私はユースホステル派ですが、友人はキャンプ派、山のようなキャンプ道具を積んでツーリングに出かけます。

もちろん友人もオートバイで行くことは外せないポイントで、車かバスか電車で行こうと誘っても乗ってきません。 私がツーリングをはじめ旅行に行く目的は日常から外れることです。 私は天王寺に住んでいて、何もなければ天王寺区の自宅から2㎞圏内から出ることはありません。 その圏内であればどこに何があるのかほぼ判っています。 今日も明日も明後日もそれはほとんど変化しません。

旅行に行くと見るもの、聞くもの、すべて新鮮です。 住んでいるところと環境が違うところ、景色が違うところに行けばさらに新鮮です。

かつて山登りが趣味であったころ、山登りはやはり環境変化を楽しむ場でした。 雪原にテントを張る、気温が低い、住んでいるところと音やにおいが違うなどです。 そして環境が変われば石ころだらけのところでもぐっすり眠る事が出来ました。 それはとても不思議な体験で、初日は日没とともに睡魔に襲われ、友人たちがテントで大騒ぎをしていてもお構いなく寝ています。

私にとって旅はぐっすり眠ることだったように思います。 最近眠りが浅く、睡眠時間が5時間を切る日が多いです。 熟睡により頭のもやもやが消えるならツーリングでも山登りでも何でもやってみたいと思っています。 私と同じように睡眠で悩んでいる人は多いと思いますが、それぞれの人に意外な解決方法があるように思います。

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[趣味]

価格

商品の価格設定の不思議さにはいつも驚かされます。 私が金銭的価値観が形成されたのは小学校のころだと思います。 当時お小遣いは1日10円、それでお菓子を買うか、ちょっとしたおもちゃを買うか、最初はお金を貯める考えがなく毎日使い切っていました。

いまだにこの10円単位のお金へのこだわりは我ながら強いと思います。 例えば自販機で飲料を買うときはできるだけ100円のものを探し、その時150円の飲み物しかない自販機しかなければあきらめて買わないようにします。

家で麦茶を沸かし、洗ったペットボトルに詰めて冷蔵庫で冷やしています。 ゴルフに行くときは自分の入れた麦茶を持っていきます。 ゴルフに1回行かなければペットボトルは100本以上買えるでしょう。 しかしゴルフ代は大して気になりません。

自分の貧乏くささに嫌気がさします。 そこでこの価値観を逆手に取って、煙草を一本吸わなければ23円(セブンスター20本入り460円)節約できるからできるだけ吸わないようにする、とかです。禁煙は無理ですが本数を減らすことに効果がありました。

私の母親はもっと貧しい幼少期を過ごしていて価格に私よりはるかに敏感です。(私の価格に敏感なのは母親の影響が強いと思います) 毎日スーパーマーケットのチラシを眺め、目玉商品の価格を頭に叩き込み、最低価格を割ったらいらなくても買いに行きます。 たまたま広い家に住んでいて、収納場所が多かったのですが、棚を開けると1リットルの醤油が何本も置かれていて常温保存です。 5本あったときは3~4本は賞味期限きれです。 なぜなら両親だけで済んでいて1リットルの醤油を使い切るのに1年近くかかるでしょう。

醤油1リットルは醤油が必要な人にとっていくらの価値があり、マーケットで様々な要因の相互作用の結果価格が決まります。 その意味で醤油は1リットル千円程度が限界で、5万円なら醤油を使う料理はなくなっていくでしょう。 例えば握り寿司はレモンと塩で食べるなど、まさかとんかつソースはつけないでしょう。

母親にとってペットボトル醤油は仮に近年の最低価格が500円、通常価格700円とすれば700円のお金を500円で買う、といったところでしょうか。 賞味期限切れの醤油を捨てようとすると強く抵抗しました。 醤油に限らずインスタントコーヒーなどスパーの目玉商品になるものは多く保管されていました。 もちろん冷蔵庫は冷凍食品が満載で冷気が回らず冷蔵庫が故障してしまったこともあります。

必要だからほしいから買う、なくては困る必需品は無くては困るもののたくさんある必要はない、なくて困らないものは高ければ我慢できる、高級腕時計とかです。 高級腕時計はなぜ高級かと言えばたいてい稀少性です。
これはミクロ経済学のイロハですが、700円の醤油を500円で買ってため込む行動はケインズミクロ経済学では説明がつきません。

価格は経済学では市場が存在して需給関係で決まると開設されますが、マーケットが明確でないもの、私が感じたのは工事費用ですが、マンション外壁塗装工事の見積もりを5社取ったとき価格差が2倍ありました。 通常管理会社が懇意にする下請けに発注するのですが、見積もりに違和感があってそのようにしたのです。 この工事の費目はペイント料、足場代、そして人件費と元受けの利益です。 ペンキ代はネットやコーナンに行ってあたりをつける事が出来ますし、職人の延べ人数はほぼ同じになります。 違ったのは足場代、通常建設材料リース会社から借りますが見積差はこの価格差にありました。 5社の見積もりは面倒くさかったのですが、2千万円が12百万円で8百万円浮きました。 工事も満足のゆくものでした。

最安値を探すのは手間、製品価格なら価格ドットコムで検索できるでしょうが工事費のようなものは今も相みつ以外に適当な方法はありません。 もちろん標準工事単価なる本も売ってはいますが。

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[趣味]

ボクシング

私はスポーツ観戦ではボクシングが好きです。 先日の村田選手の試合も見ていて自分の体の中でアドレナリンが分泌されるのを感じました。 結果の判定は批判が相次いでいますし、素人の私の目にも不思議な気がしました。 しかしスポーツであり、格闘技であり、審判も判定も絶対必要なことで、否定するなら殴り合いになってしまいます。

ボクシングは明確に相手がいて相手を倒す格闘技、ゴルフのようにスコアをつけて誰かがトップに立ち、トップのスコアに届かないものは2位以下になるスポーツと異なります。 それだけに相手を倒す一点に醍醐味があります。

今回の判定のようにジャッジの考え方が大きく異なる採点では勝ち負けを競っている当人からどう戦えばいいのか、KOで決着がつけばよいですが有効打数なのか、有効打でなくとも手数で評価なのか初めに意思表示すべきだと思います。

少なくともボクシングの協会で正反対のジャッジが下されないような標準化が必要と思います。 不満を残した村田選手はまだ若く、今後もチャンスが巡ってくるでしょうが悔やまれる試合でったと想像します。

仕事の世界でも同じような問題は多くあります。 制度ビジネスをしていると制度違反かどうかをめぐり行政は『おい、こら!』とばかりアラを見つけてきます。 些細な問題、実務とかい離した見解、役人の対応はばらつきもありますが、とんでもないことは起こります。

監査の結果指摘や注意を出す場で『録音します』と言ったら厚生労働省の若い職員が『やめなさい、我々も録音していません』と言いました。 勝手に録音すればよく、我々は口頭の指示を漏らさないために録音を申し出ているのです。 あの高慢な態度は一生忘れません。 国家官僚の陰険さはドラマでもよく強調されていますが、態度の悪さも含めてドラマは現実です。 あの役人がボクシングのジャッジを行うのであればボクシングは誰も見なくなるでしょう。

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