監査役BLOG

会社を見る鳥の目

経営者の目線で、日々の思いやできごとを綴っていきます。

[生活]

ショッピング

以前にも記事にしましたが、私はいろいろな店に商品を見に行くのが趣味です。 家電なら大型量販店から日本橋の電気屋、雑貨なら東急ハンズ、コーナン、ドンキホーテ、ショッピングモール、食品なら業務スーパー、それ以外にもデパート、趣味になるバイクショップ、商店街の専門店などで、あまり見に行かないものにネットのショッピングモールです。

商品は販売目的で製造されたものですから、価格・性能・仕様・デザインなど差別化を競います。 商品価値を決めるこれらのもののバランスが取れていて、つまり性能と価格が見合っているとか、売れ行きは決まるわけですが、一部は希少性が価値であるものは一般的なそのものの価値に比べて異常に高価であったりします。 たとえばフェラーリーなどは典型で、いくら売れ行きが良くても経営者は年間何台しか製造しないと公言しています。

心斎橋のフェラーリー正規店に行くとイメージカラーの本体が展示されていて、デザインが優れていてほしくなるような車ですが、これが日本に数万台走っているとなると一台3百万円でも欲しくなくなるかもしれません。

その10倍以上の価格でも納車まで一年待ちとなればデザイン・性能に加え希少性を武器にした戦略は優れていることになるでしょう。 フェラーリーは車を売っているというよりステータスや夢を売っていて、企業である以上安定性・継続性・利益稼得・リスク排除を念頭に経営しているわけですから優良企業といえます。

私がいろいろなものをショップに行くのは経営者の端くれとして常にマーケットに注目していたいからです。 介護の事業とフェラーリーの事業における相似は少ないですが、経営で成功する要素の確認はできます。

もう少し具体的に言えば経営者はお金を取り扱う仕事という観点でみるとフェラーリー社も当社も究極は利益率が平準化すると思っています。 事業の安定性・リスク・利益率などは時間の経過の中でそうなるのですが、好調の時期、不調の時期を繰り返すことになり、そこで経営努力を払わなかった事業者はマーケットから退場し、残りの事業者は競争相手が減少して競争優位に立ちます。

フェラーリーの競合相手はトヨタやVWではなくカルチェ等いわゆるブラント商売でしょう。

介護事業では大括りの事業分野の中で制度変更により個別事業の好調・不調は政治的に作り出されます。 3年ごとの制度改正に合わせ事業の組み合わせを変えている会社もあり、常に好調の分野に注力している会社もあります。

当社は制度改正で不調となった時に競合相手が退場し、シェアを増やしてきた経緯があります。 今までの方法で同じように今後の制度改定にうまく対応できるは限らず、新たな工夫を必要とするようになるでしょう。

怖いのは制度ビジネスでもそれなりに商売のやり方が異なる中で顧客のすべてに支持されるように現場が考えた時で、結局強みの無いビジネスモデルになってしまい、成長はおろか緩い衰退を迎えることになります。

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[人間関係]

[会社運営]

組織と人

当社は従業員がやっと100人を超えたところですが、事業を行う拠点は8箇所に分散しています。 一番人数の多いところは25人ほど、一番少ないところは5人、それぞれに責任者がいて組織をまとめています。

うまく運営されている事業所は組織の長のマネジメント能力が高く、まとまっていないところは逆といえるかもしれません。

もちろんマネジメントの優劣はもちろんの事、そこの構成メンバーに問題のある人がいればまとまりはさらに悪くなります。

店舗などお客様の出入りが多いところは組織人として問題のある人もそれなりに働いています。 衆人監視の行き届かないところは見えないところでさぼったり会社批判したり、問題行動を起こします。

そのような問題のある人がなぜ会社を辞めないのか不思議に思えます。 そもそも不満があるのなら不満の無い職場に転職すればよいわけで、どこにいても不満だらけなら自分の価値観に問題があると考えを改める必要があります。 百歩譲って、会社に問題がある場合、つまり会社批判が正当なら上長に言えばよいわけです。

このような話は珍しくもなく、その対応も古くから研究されてきました。 一つはその人に将来展望を持ってもらうこと、将来このように目標を達成してゆけば良い評価を得られるでしょう。 しかし将来展望を持ってもらうのは人によっては至難の業です。

次に監視を強化し、問題行動を指摘し注意することです。 教育的効果は限定的です。 そもそも問題行動を繰り返す人が考えを改める可能性が低すぎるわけです。 何とか引き上げようとしても改善するかどうかは本人次第、関与する管理職が疲弊してしまいます。

弁護士に相談するといろいろ方法を教えてくれますが、外部を頼って荒治療するのは最終手段になります。

私は最善の策として常に毅然とした態度を心掛けています。 これらの問題は『いじめ』や『愉快犯』と同じで、揺さぶりに動揺することなく徹底して対処しなければなりません。

少し利口な人で問題行動を起こす人は自らの考え方が明るみになった時に大抵は辞めてゆきました。 あまり利口でない人はなかなか辞めてゆきません。 もちろん考えを変えることもしません。 最後は日本の法律が改善するのを待つより仕方がありません。

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[採用]

求人サイト

当社も採用に向けて人材紹介会社や求人サイトを利用します。 数年前まではハローワークや新聞折り込みで殆どの職種で求人できていました。

しかし今は殆どの職種で人材紹介会社や求人サイトを利用しての求人になっています。

求人サイトの映像や文書はサイトを運営する会社のライターやカメラマンが職員を面接したりして写真を撮り、文章を起こして作成します。

できた文章は仕事は比較的楽で働きやすく、職員間の人間関係の良い会社に仕上がっています。

それらは一面では正しい評価だと思います。 しかし当然厳しさも辛さもあり、この仕事特有のものは示した方が良いかもしれません。

当社は中途採用が多いのですが、採用面接で前職をやめる理由を聞くと上司との折り合いであったり、低い収入であったり、将来展望の無さであったりします。

上司との折り合いはどこの組織でもあり、もちろん相性の問題もありますが折り合いの悪さを自分の努力である程度改善することができ、上司の一方的な問題ではないように思います。 私もサラリーマンをしていた時に会社で一番嫌われている上司と組むことになり、20年近く組んで仕事をしました。 私のとった対策は絶対服従をすること、ただし間違っているときははっきり本人に言うこと、陰で悪口を言わないこと、その人の良いところを見るようにすることなどでした。 社内でよくあんな人と仕事ができると言われましたが、今ではパワハラ・セクハラに当たることを平気で行う管理職が沢山いたので大なり小なり多くの人が困っていました。

収入の多い・少ないは社会全般としては仕事の難易度、希望者の数(労働マーケットの需給関係)、責任の有無で決まりますから収入が低いからは楽な仕事だからということになるかもしれません。

将来展望についても本人の価値観ですから事前に少し考えた方がいいのかもしれません。 殆どが初めからわかっていることのようです。

つまり若い人は職選びにおいて何を考えたらよいのか理解しておらず、考える習慣も持たないところにミスマッチの原因の一端がありますし、我々求職側にも職業の本質を記載しないところに問題があるのかもしれません。

そこで求人サイトの運営をする会社に会社の理念や理念の浸透にどのようなことをしているのか書いてはどうか聞くことがあります。 答えはそのようなことで採用は応募がなくなるということでした。

 

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[人間関係]

[会社運営]

ガンコ

会社運営でうまく事が運ばない局面の一つに、重要な局面で意思の統一が上手く行かず、いつまでも決定できなかったり、無理やり決定して関係する(決定に従い実行する)メンバーが決定に忠実に従わない場合である。

後者の例でいえば営業部で個別の戦術、例えば今月はこの商材のデモを徹底して行うと店長から指示が出た時、個々の営業者はいろいろ考える。 付加される営業の課題なので熱心に行わない、自分の取引先のほんの一部しかデモを行わない、その中で一つでもデモに価値がない意見が出たらそれを一般化しようとする、等である。

その商材が現場で20%しか評価されないとすると10回デモを行って2回が有効となる訳ですが、デモ企画に何らかの理由で後ろ向きの営業は初めの数回で嫌気がさし、さらにデモを行ったとしてもその商材の自らの評価も下げているのでデモのトークに熱が入りません。

そもそもすべてのユーザーに受け入れる商材はほとんどない訳です。 2割のユーザーだけが評価すると考えるかこの商材は2割ものユーザーから評価されると考えるかで大きく異なります。 何万点と商材がある中で2割の支持は圧倒的です。

仮に評価割合が1%であった場合、当社の商売としても低ければその商材のデモを繰り返すことはその商材の販売という点で価値は低いでしょう。 しかし商材デモは市場で何が評価されるか見極めのために必要です。
指示を出した店長にとってもデモを行った営業者にとっても商売の感性を磨く点で重要です。

人の気持ちは常に柔軟でも素直でもありません。 柔軟で素直な心の人がこの事例のような場合に小さな成功を収めていきます。 柔軟さや素直さを阻害するものは予断(この商材はダメだと思い込むこと)、徒労感(デモのやり方が下手でデモを行っても相手の歓心が得られないなど)、プライドなどです。

実は自分は別の商材の方が市場で評価されると思っていたり自分は営業として高い技能を持っているのでほかのやり方を行った方が良いと過信し、それを貫くことで良い結果をもたらすことがあります。 意地を張る場合です。 その結果を否定はしませんが、そこまで営業に自信があれば他の営業がデモを行ってその商材が2割の支持の時、その人は2割以上の支持を得られるはずです。

現実の場面でも指示にしたかって予断を持たずデモを行っている人は確実に実績を出していて、指示に従わなかった人は殆ど全員が結果を出せていません。

店長の役割はこの戦術に従わせること、しかも素直に、ということになりますからこの場面の例では簡単な役割に見えます。 しかし素直に(個々人のガンコを排して)支持に従わせることは至難の業です。

ある人はいろいろなデータから科学的な営業手法を開示し、自分への信頼感を高めようとしますし別の人は人事考課で露骨に差を付けようとします。 古来いろいろな組織の人心掌握方法が編み出され来ました。 結論から言うと決定打はありません。

指示に従わないことへの恐怖心は組織運営にとって必要ですが、恐怖心は抱くもので抱かせるものではありません。(少なくとも会社運営では) 科学的に説明は常に科学的に見えるほど管理職は営業の科学者ではありませんし、感じたことを科学的に説明するのが難しいものです。

結局話をよく聞き、まめに多面的説明・注意を繰り返すことが効果的に思えます。 自分の部下が皆素直と思うのはそうであるべきとの管理者の予断、皆悪意に満ちているというのもそう考えるほうにそもそも問題を感じます。

私のお勧めは自ら徹底的に素直になることです。

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[社会]

ルミナリエ

神戸の三宮では一昨日よりルミナリエが始まっています。 15日まで開催されますが今日は最初の土曜日、三宮は大変な人の波でした。

今日は点灯まで居ずに帰阪しましたが、おそらく会場となる界隈は点灯と同時に歩くのがやっとの状態になるでしょう。

今年で20回、経済効果も大きいはずですが、開催継続に寄付集めが大変だと新聞に掲載されていました。 私も十数年前に子供を連れてゆきましたが大変な盛況で、阪神淡路大震災で亡くなった人の鎮魂行事と聞いていましたが、震災からの復興を象徴するイベントとして盛り上がっていたように思います。 三宮は復興を果たし整備された街になりました。

震災前の三宮は港町独特の外国の雰囲気と猥雑さを感じる町でしたが、復興後の三宮はおしゃれな街に変身していて、個人的には少し残念な気がします。

大阪でも中之島で大阪市庁舎界隈で同様の電飾イベントが行われ、何度か行きましたが大変な人だかりでした。 この種のイベントは人気があるようで、ランプの数を競ったり、表現の美しさを話題にしたりしています。 日没時間の関係から冬場に行われるのが多く、寒さに震えながら数万のランプを眺める行事になっています。

これで人が集まるならと言うことで今後各地で増えてゆくことでしょう。 そのこと自体は良いことですが、せっかく神戸オリジナルが各地共通化し、地域特性がなくなる点がさびしさを感じます。 ちょうど震災復興で三宮の独特が薄らいだように。

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[経営]

口に出して言ったこと

人はめんどくさいもの、裏に回れば悪口で、自分でいうのを憚る人は他人の悪口に乗っかって囃し立て、その批判はよく聞けば悪口だったりします。

悪口にも種類があります。 このブログにも『死ね、死ね・・・・』などと書いてくる人がいます。

私は運は良いこと、悪いこと同じだけあり、別に特定の人にどちらかが重なっているわけではないと思っていますし、なぜそうなのか説明することができます。(今回は説明しませんが)

私が日常生活で不愉快なことがあると、例えば歩いていてスマホをいじりながらぶつかってきて謝りもせずにそのまま行く人に昔は怒鳴っていました。

しかし今はその人の良い運勢が自分に鞍替えすると思っています。 したがってそのことで私の良い運は増えてゆきます。 ゛例をしでかした人は良い運が逃げてゆき、相対的に悪い運が残ることになります。

運が良いということは単純に幸せになると理解しています。 まことに幼稚極まりない運命論に思えますが、そう考えて自分の感情をコントロールし、いわゆる得を積むことで自分もかかわりあった他人も幸せになると思います。

ところが得を施しても良い運が積み増しされない人がいます。 会社に会ってみんなが幸せになるべく私は日々徳を積みます。(ちょっと宗教的ですが) 徳と言えばたいそうですが最高の笑顔で先にあいさつするとか、心から相手の健康状態の回復を願うとか、大変だった仕事の労をねぎらうとか、その程度の事です。

言われた方は決して悪い気はしません。 自分は大変影響力のある人間なのかと誤解するほど相手は悪い気をしていません。 もちろん笑顔は最高のもの、相手を気遣うときは心の底から気遣う気持ちを持って行うのは当然です。

悪口を言われている人の愚痴を真剣に聞きました。 その人は気が楽になったのでしょう。 そこで私は欲を出してしまいました。 「悪口を言われるなら相手が悪口を言いたくなくなるような振る舞いをしてはどうか」と言ってしまいました。 正攻法で言えば動じない対応です。 もしくは悪口によってはそれは正しい自分への批判と考え、自分の振る舞いを正すとかです。

ある社員教育のセミナーで『自分が源』というスローガンを盛んに言っていました。 自分を取り巻く環境が正しいわけではなくとも、それを良い方向に自らの行為行動で改善していく、そういった意味で『自分が源』です。

これには無理があります。 そもそも自分の周囲に裏に回って悪口をふれる人は相手の出方に応じて対応する人ですから始末に負えません。

ある社員とこの話をしていたらその人が結局『どのようにしていこう』と言うのを決めて門なそっちに向かわせるしか改善方法はない、と言ったのです。
言われた瞬間霧が晴れた思いで、『向かうべき方向』が明確に言葉になればそれに反する行為、行動は自然と減って行きます。 たとえは『前向きに考え、他人の批判はやめよう』と言うことを強く徹底した場合、悪口は減ります。

まさか! あり得ない・・・とお考えの人もいるかもしれません。 ポイントは徹底すること、本当に徹底できれば悪口は出てきません。 徹底の過程で誰かを批判したりしてはいけません。 それは自らがおきてを破ってはいけないし、常にぶれない対応で徹底して『向かうべき方向』を目指すことにほかなりません。

人は口に出した言葉に制約されますし、それが善悪の判断として正しければ『違う』と言えません。 人は自分が悪の存在と自らも他人からも思い思われたくないものです。

とにかく面倒くさいのが人間なのです。

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[生活]

叔母へのお見舞い

80歳代後半の母親を連れて90歳代の叔母(母の姉)が入所する高齢者施設に行ってきました。

私が子供の時は優しい叔母でよく遊んでもらい、叔母の家に泊まりにもゆきました。

すでに認知症が進んでいて、私のことは認識できませんし母の事も同様です。 歩行は困難で施設内では車いすの生活、直射日光に曝されないためか手はすべすべの肌をしています。

認知症であるため顔に表情はなく、見た目は叔母のイメージから遠いものでした。
母と叔母は特に仲が良かったわけではありませんが、最近叔母に会いにゆきたいとよく言います。

健康に関する家系という意味で私の家系は大変恵まれているのかと思います。 女性の平均寿命が80歳代であることを考えても大病を患うこともなく長命です。

母は3姉妹の末子でもう一人叔母がいましたが、数年前に亡くなりやはり長命でした。

私は61歳、叔母同様の長命であれば90歳まで約30年の人生が残っています。 今、完全にリタイアすれば30年仕事をしない人生が待っていて、頭も体も使わなければ叔母同様認知症になる可能性は高く、死ぬ間際まで頭も体も使い続けても認知症は避けられないかもしれません。

母親をはじめ叔母たちが特に頭も体も使い、健康に留意していたわけではありませんが、私は食事や運動を心掛け頭も体も使い、生き甲斐もある中でそれを今までと同様の方法で維持することが難しくなってきています。

私より年上の従兄弟たちは皆元気で殆どが現役で仕事をしています。 私もそれなりにと思いますが若いころのように集中して何かを行うことか難しくなってきました。 そこで価値観を変えて出来ることを少しづつ確実にこなす方法に変えてきています。 実は老化に際してこの価値観を変えることが大変難しく、若い時に一気に集中してやり遂げてきたことを地味に行う、例えば体か重くなったと感じた時は帰宅してからランニングしていたのが今はマンションの階段をゆっくり登るとかになってきています。

本は気が向けば一気に読み上げていたのが何日かかけて細切れで読むようになりました。 それは時間つぶしではなく、仕事に反映させるのが目的で達成感という点ではあまり感じることができません。 このあたりの価値観を変えるのも至難で、できるやり方での成功体験を重ねるしか方法がないようです。

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[会社運営]

情報交換

同業他社と情報交換をするため、介護機器の卸にお願いして同業他社を紹介していただき、面談してきました。

介護保険制度は原則は全国一律制度、ところが貸与事業一つとってもやり方はいろいろ、もちろん競合しない他府県であっても本音の話は出ません。 ただどのように事業運営しているのかはある程度予想できます。

同業他社との情報交換は毎年行っており、今年で5回目になります。 今まで都市部の同業との意見交換を目指して東京・愛知・広島・京都と行きましたが、今回は郊外の都市で営まれている字義容赦の方にお会いしてきました。

長野県のある地方都市、人口で10万人前後の都市ですがここで手広く介護事業を営んでおられる事業者様です。 短期間で採用を重ね、多くの職員を抱え、ほとんどの決裁を社長自ら行う様子はまさにカリスマと言うべきでしょうか、私の場合権限移譲を進める中で方向性の相談はたまに受けますが個別の決裁は皆無に近く、マネのしようもありません。

しかし、会社運営のやり方はそれぞれ一長一短があり、最後の質問で資金の投資は何に行うがと言う質問に『人材育成しか考えていません』と答えましたが、高齢者施設を運営したりされている経営者にとって投資は施設であり機器でありという考えのようであまり理解してもらえなかったようです。

人材育成にどれほどコストがかかるのか、社内セミナー、外部セミナーへの参加、それはそれでコストがかかります。 また取引先との懇親会参加もコストと時間がかかります。 しかし一番時間とコストがかかる育成方法は現場を担当させることでしょうか?

たとえば店長候補を店長にするため他店を経験させる、その時に課長としてやらせる、これは実務も行うので単に人事異動で大きなコストがかかりません。 そして次の転勤で店長ということになりますが、黒字の既存店で店長が変わることでその店の業績が一気に赤字転落することもあり得ます。 店長として育てるつもりならこの赤字を投資と考えて耐えねばなりません。

会社として耐えるだけでなく教育効果を狙って本人を育成しなければなりません。 過去には毎月100万円程度の赤字を出し続けた店もありましたが、結局人が育たず、失敗したケースもあります。 仮に毎月100万円の赤字が10ヶ月続いたとして合計1000万円の赤字となりますが、当社の事業構成で一千万円の利益を生むのはなかなか大変です。 しかし人を育てるうえではある程度任せなくてはならず、任せるうえでできるだけ傷が深くならない方法をとらねばなりません。

少し乱暴な事例でしたが、本人が育つには責任を取らせるのが一番と思います。 他社視察に行くにあたって以後の反応を聞いてこの人は何を観察しているのかで投資効率の高い人かどうかを判断しています。

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[会社運営]

将来像委員会

当社の経営理念は『地域に根ざして人の健康と生活を支えます』というものです。

十数年前、まだ従業員が二十数名だったころ、どのような会社か明確にしようと言うことで理念が話題になり作りました。 最初に考えたのは『うちが儲かればいい、うちだけ儲かればいい』というものでした。 当時始めた取締役会で提案して全員に否定されました。

当時は売上が徐々に伸び始めましたが、資金が回らず黒字倒産寸前で、気持ちも切羽詰っていました。 だからこのような理念を提案した当時の自分をいまだに責めるつもりはありません。 後悔することもなく恥じる気持ちもありません。

これだけ聞くと医療・福祉に関する事業に従事していてさもしい事業者と思われるかもしれません。 しかし私は実際の商売において法令順守をし、お客様にとって一番良いと思われる提案をし、結果として売上が年率30%ずつ上昇していた時期でした。 経営が苦しい時に何とかがむしゃらに浮上しようという気持ちが滲んでいて私は好きな言葉です。

しかし人が、顧客が、市場がこの言葉を容認するかといえば否でしょう。 経営者一人の苦しみを組織の看板として標榜することは許されないばかりか的外れですらあります。

文頭に書いた理念はその後職員に不思議に浸透し、経営判断や行動基準の基本として深く根付きました。 しかし、この言葉でよそから見て、会社に帰属してどのような個性の会社か?ということが見えません。 経営戦略は地域密着、医療・介護という点でわかるのですが。

そこで経営理念の更改を決めました。 このブログでも何度も書きましたが、私はすでに61歳であと数年でリタイヤします。 というか現在も実質リタイヤしています。 だからこれからの当社を担う人に作ってもらおう、私はそのことに意見を挟まないでおこうと決心し、ある職員にその考えを託しました。

彼はプロジェクトを立ち上げ、そのメンバーに私も入れてしまいました。 私は意見を挟まないという点で私をメンバーに加えた判断に意見を挟まず、6回に及ぶプロジェクト会議に参加し、積極的に意見も言いました。 私を入れて6名のメンバーははじめバラバラでしたが、人の意見に相互に影響を受け、昨日最終回で大筋のものが決まりました。

今はまだ公表できませんが大変すばらしいもので、さらに言えば毎回出される宿題で、私の考えてきたものはことごとく否定されました。 否定されるたびに「そうなのか、そうなんだ、みんなはそんなことを思っているんだ」と感心ばかりしていました。 もちろん意見を検討するときに私なりに他人の意見を否定することなく自分の意見も展開し、それが違う言葉に編みかえられてゆきます。

結果、思っていたことと似ても似つかぬミッション、ビジョン、バリューがきまり、その中に私が吐いた言葉もちりばめられていました。 それらの言葉の意味合いは経営に携わったものと現場のマネジメントに尽力する人では異なるのでしょうが、共感があり、言葉にハーモニーすら感じられました。

親子ほど違う人たちとこれだけ違う言葉を綴り、互いに共感できたことは多事とって驚きと幸せを感じる瞬間でした。 自分は孤独に仕事をしてきたという思いがみんなにもあり、人に相談できない悩みを抱えて「だから正直に・・・・」と言うのは実はみんなの心の叫びだと気付きました。

こんな小さな会社で、みんなは多くの問題を抱え、困っている人のお世話をする仕事につき、考え抜きながら日々の業務をこなす仲間がいて涙が出ました。 人間は捨てたもんじゃない、そう感じて社内を回るとあちこちで鈍く光る人たちが見えました。

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[他業界]

[会社運営]

接待ゴルフ

 

私は二年ほど前に一年ほどゴルフをしていました。 さほど面白いとは思わないまでもある人に誘われて始めたのですが、いままでやったことがなかったので熱心に練習しました。

幸いゴルフの友人もできて、頻繁にゴルフをするようになって子供のころに痛めた親指の付け根が痛み出し、コップが持てないほど傷んだのできっぱりやめました。

ところが仕入れ先からゴルフに行きましょうというお誘い、固辞したのですが『前に約束したでしょう』と言われ『そんなこと約束したのかな』と思いながらも『一度だけ』と言われてお受けすることにしました。

クラブなど道具はないので以前自分が使っていたものを友人に差し上げたのですが、それを借りて練習に行き、何とかボールが当たるようなので納得して行きました。

場所は遠く、車で送迎付きです。 私は車がないので現地集合できません。 大阪で集合し、徳島県まで行くのですが、車の中で仕事やプライベートの話で盛り上がり、今まで違いお互いの距離感が近づいたように思います。

宿についてからも深夜まで酒を酌み交わし、(私は食事の時の酒で酔いが回って寝てしまいましたが)それなりに盛り上がったようでした。

ラウンドでは私は予定通り散々なスコア、ラウンドの最中は私の場合プレーに集中してあまり話しませんが、相手も気を使うことなく、つまりは慣れておられるのでプレーに気が向いておられました。

昼食後後半ラウンドはスコアも少しまとまりだしてゴルフそのものも楽しくなり、双方にとって良い機会であったと思います。

私自身は接待したりされたりは好まないほうですが、取引先と一歩踏み込んだ話をするときに食事をすることはたまにあります。 その時お酒も少し入りますが、接待という認識はほとんどありません。 費用が税務上接待交際費になるのでそうだと思うぐらいです。

接待と言えば密談や私的利得の意味合いを感じることがありますが、個々の細かな取引内容を契約書に認める習慣がない以上、このような信頼感の醸成は必要になります。

帰りの車では取引先の方と二人で長時間車で話をし、働くことだけが日々の生活の中でゴルフくらいはやっても良いのではという話になりました。 この人もゴルフが特に好きというわけではなく、ではほかに何かやりたいことはと聞いても特に無いという返事、取引先の中で私が比較的気が合うのかこのような機会は大切にされたいようです。

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