監査役BLOG

会社を見る鳥の目

経営者の目線で、日々の思いやできごとを綴っていきます。

[趣味]

久々のツーリング

私の趣味の一つがオートバイのツーリング、久々に日帰りで行ってきました。 お気に入りの竜神スカイラインは高野山から南下し、竜神温泉まで続く全長40㎞強の道路です。 以前もこのブログで紹介しましたが、今回は降水確率の高い中紅葉が見られるかなと思い一人で出かけました。

バイクはヤマハのセロー、230ccのオフロード車です。 調子が悪く修理を依頼し、キャブレターを掃除してもらうと快調に走るようになりました。

高野山まで一気に走り、高野山にあるお寺の塀越しに見える樹木は美しく紅葉していました。 紅葉が美しく見える条件として雨のあとで葉が濡れていて、曇りで盛り前、つまり緑から黄色に変わる時期が私はお勧めです。 特に下から見上げて紅葉した葉が曇りの淡い光を通すさまは絶品です。

一点の曇りもない秋晴れ、数日続いた晴天の後の紅葉は瑞々しさに欠け、強い光で葉の表面が反射し造花のような印象を持ったことがあります。 確かに真っ青の空とのコントラストはそれはそれできれいですが、谷を挟んで向かいの斜面の広範囲の遠景を楽しむには良いでしょう。

高野山を後にして竜神スカイラインを南下するとガスが湧いてきて風の通る峠では霧の中を走ることになりました。 さらに雨も降ってきたので中ほどで引き返し、箕峠で東に分かれる林道に入りました。 龍神は紀伊半島の中央部、山また山の中に林道や県道、番号の大きい国道が縦横に走っています。 私が寄り道したのは野迫川村、新宮まで流れ、太平洋にそそぐ十津川の支流に沿ってつけられた林道、途中に集落があり平維盛歴史の里と表示がありました。 平家の隠れ里のようです。 林道はやがて県道になり、たまに釣り師が渓流釣りをしている以外に人も車も殆ど出合うことがありません。 まさに隠れ里、古くから人がひっそりと住み、何代にもわたっての暮らしがそこにありました。

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[生活]

[習慣化]

時間管理

私は自分のやるべきことを一週間単位で管理しています。 仕事もプライベートもです。 何をやるべきことと判断しているかは別の機会にいたしますが、決めた項目を書き出しできればチェックを入れてゆきます。

項目は達成度合や必要性を考えてたまに入れ替えてゆきます。 仕事については予定されていることが多いのでノートに予定を書き込み、日に3~4時間程度です。

項目はたとえば階段昇降、14階分×3/日を昇降するもので1回10分と決めています。 ところがブログを書くは45分/回で何とか45分で纏めようとします。

つまり時間当たりの生産性を考えると質が低下してきます。

1週間は168時間、睡眠時間・雑事に10時間/日、仕事は4時間×7日=28時間、残りは70時間、これが私の1週間の戦いです。

この70時間で体力維持のためのトレーニング、自分を高めるための読書、報告書読み、予定した面談相手との予想質問、面談結果のまとめや反省に充てられます。

1週間の結果を見ると最近は半分程度、後の半分の時間は録画したドラマを見たり、つかれて昼寝したり、誰かにつかまったりで消えてゆきます。 ブログを書く時間のようにテストで答案を書いているわけではないので時間の制約は意識しなくても良いのですが、何年も書いているわけですからすらすらかけて当然と思います。

毎週努力や工夫でこなせる項目数を増やそうとして気が付いたのですが、意外にぼんやりしている時間が長いのです。 最近は一つこなせばすぐに次に取り掛かるようにし、朝一番に今日はこれとこれをしようと決めたりしています。

人がポジティブに行動できるのは明確に目標意識を持てる時、なんとなく自分を高めるとか健康を維持するとか曖昧な目標では意欲はわきにくく、それでも継続した方が良いことを習慣にして徒労感や苦痛を減らしています。

よく仕事ができる人は決めたことはさっさとしています。 大きな結果を出している人はこのコツコツとしたことを何十年やり続けています。 おそらく私ほど悩まずそれをやり、結果につなげているのでしょう。

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[会社運営]

経営者のつぶやき

大会社の経営者で新聞によく登場する人のブログは訪問者が多いと聞いています。 当然のことで注目されると人は寄り添います。 ちなみにこのブログの訪問者の数万倍~数十万倍でしょうか?

ブログを始めた時に人気のブロガーが何を書いているか読んでみました。 私にはまったく関心の湧かないブログばかりでなんでフォロワーが多いのか理解できませんでした。

私は私の思い描くことをブログにしたためるのは当社に応募する人に『上六調剤薬局の経営者はこんな考えの人です』と知ってもらうために続けています。

当社に応募しようとする人も読んでいますし、取引先の人も読んでおられます。 主要な取引先の人は面談して話もするのであえて読む必要がないのですが、読んでいる人もおられます。 これらの人を仮に私に親近感を持っている人と仮定してどのような特徴の人か観察してみました。

共通点で気が付いたのはスマートフォンをいつもいじっていない人が殆どのように思います。

私もスマートフォンを持っていませんし、ガラケーやPCでネット検索もほとんどしません。 ネットに繋がる人の特徴は偏見かもしれませんが情報に重要性を抱いている人、何か事件が起こりそれを話題にする人はネットにつながる頻度の高い人だと思います。 たとえば御嶽山が噴火し、その直後話題にする人とかです。 ネットは当たり障りの小さい話題作りに便利な機能だと思います。

特徴の二番目はいつも何か考えている人です。 それは会話の中で必ずその人の考えが顕れてくるからです。 何かを知り、何かを感じた時に人は考え、行動に落とし込みますが、私もよく考えるほうで100項目考え、意思決定に繫がったり自らの行動に繋がるの数個だと思います。 私がそのタイプの標準だとは思いませんが、私の場合はそうだということです。 行動に落とし込む前に相談し、確認します。 自分だけで考えているとそれこそガラパゴスになりかねないからです。 私の場合、ごくまれに誰が何と言おうと自分の意見を貫く場合があります。 大きな意思決定で会社運営にかかわるものは数年に一度でしょうか?

過去その意見を開示した時は相談するまでもなく反対する人が殆どでした。 余計なことですが反題してくれる人がいることは大変幸せであると思っています。 しかし反対されることで私の決定は順延され、私は反対理由を検証して説得力をまし、再びその意思を表明します。 長い物であればその間5年から10年のスパンがかかっています。

それだけ実行に移すのに時間がかかり、ビジョンの実現が遅れることになったわけですが、遅れても正しい判断は良い結果をもたらします。 少なくとも私が意思を表明してから関係する人はそのことについて考え、その正しい部分を時間の中で検証しています。 周囲の人は思いつきと高をくくっていても気になっているのでしょう。

会社の規模が大きくなればこのような意思は並行していくつも考えることになります。 たとえば人事の制度であったり、大きな営業の戦略であったり、幸い会社の規模が大きくなってきているのでこれらの話題は増える一方、そのことについてゆけなければ今の立場にいるべきではないでしょう。

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[人間関係]

[採用]

シニアの炎上

日本経済新聞にシニアのSNSに関する記事が出ていました。 テーマの一つはシニアのネット普及率、総務省の通信利用動向調査2012年では65~69歳で62.7%、70~79歳では48.7%、それぞれ前年対比1.8%、6.1%増加しているそうです。

この数字を多いとみるか少ないとみるか評価は分かれると思いますが、61歳の私としては多いように思います。 たまたま自分の周りいる人や会社の職員でこの年齢層の人は皆ネットを利用しておられます。

二つ目のテーマはその年代層の人、定年退職後社会の接点を求めてSNSを始め、自らの信条、歴史観等を披歴し、反論に熱くなって炎上するケースがあることです。 事例としてはそれまでネットを使って自分の意見を書いた経験のない人が話題になっています。

炎上させる相手にシニアも多いとのこと、シニアは熱くなりやすいということでしょうか。 私は61歳、65歳以上の年代は未知で最近は付き合いも少ない年代です。 確かに以前その年代の人との会話を思い起こせば思想・信条、歴史観といった話題が多かったように思います。 特にリタイアすれば日々の話題は少なくなるはずです。

私はこのブログでも歴史観、宗教、政治は話題として避けています。 もちろん誰かの批判も過去に一度職員の怠慢な態度をブログで書いて炎上こそしなかったものの社内でうわさになり、当事者が対処した経験もあります。 もちろんその時も行為行動について書いただけで、誰がとは一切書かなかったことですが。

高齢者が顧客に多い商売をしていてこの話題は注意しなければならない示唆を含んでいると思います。 そしていずれシニアのネット環境が飽和すると我々の商売においても常にネットに書き込まれたことを注意しなければならない時代が来ると思います。

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[生活]

[習慣化]

気分転換

私は移動手段として自転車を多用しています。 大阪市内中心部、ちなみに私の常駐している天王寺区も中心部といえます。 自転車で移動する人が多く、東京都は光景が違いますがそれでも人が多いので走りにくく、事故の危険もあります。

最近はスマホのようなもの(私は使っていないので良くわかりませんが)の画面を見つめながらイヤホンをして走っている人が多く見受けられます。 水平方向に頭を立てていないと平衡感覚は鈍るのでふらふら走ってきます。 スピードは出ていませんが危険です。 今までやり過ごすときに睨み付けますが、相手はそもそも罪の意識のない人ですから効果がありません。

あきらめて私はそういった連中をやり過ごすときに『迷惑をかけられたお返しにお前の幸運をもらってやろう』と思います。

仏教の教えでも他人への功徳を尽くすことが自分の来世に繋がるというのがあったと思いますが、迷惑をかけられても咎めない代わりに迷惑をかけた当人はそれなりに幸運が遠ざかってもしかるべきと考えるわけです。

実際に周囲に迷惑をかけている人は幸運が逃げていくでしょう。 なぜならこれだけ密度の濃い社会にいて他人に配慮しない人は良い人生を送れるはずがありません。(別に願っているわけではありませんが) 一方迷惑をかけられてもなことであれば意に反さない人は濃密な人間社会である種の鈍感さを会得し、うつ病や他人に嫌われたりすることから免れます。 シリーズもののTVドラマで登場人物に愛される人はこのような性格をベースに描かれていたりしますね。

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[生活]

[習慣化]

ポジティブになる勇気

会社の経営者はいろいろな人に誤解されます。 普段の移動手段が自転車であることに不思議に思われたりとかです。 車で移動すれば納得してくれるのでしょうか?

以前同業者がベンツに乗っていました。 いつも高級スーツをきて様になっています。 車のバンパーにつけたポールには旗がはためいていました。 いかにも社長という感じてしたが、その人の会社は人手に渡ってしまいました。

経営者は高収入という誤解も多いです。 3万円の自転車を購入するのに2年悩んだ話をしたら驚いていました。 経営者は経営を生業とする職業で高収入とは限りません。 一つ言えるのは自分で自分の収入を決めることができることでしょうか。

ほかに多い誤解は多くの人と面談して忙しいということでしょうか。 ちなみに私は今日2件の面談をこなしました。 どちらもあまりビジネスに繋がらない、空振りの面談でした。 1件はいろいろ情報が聞けておもしろかったですが、もう1件はさっぱりでした。

最後に面談ではないですが、貸していたロッカーの引き上げを手伝いました。 長い間のお得意様でありながら一度もご挨拶に伺っていなくて、事情により取引をやめるので貸していたロッカーを引き上げることになりました。 作業服に着替え、野球帽をかぶって変装し、担当者の手伝いの振りをしていましたがあっさり見破られました。

毎日何をやっているのかわからないような仕事が続くとつい愚痴を言いたくなります。 経営者は社員がみんな見ています。 話すことも聞いていますので愚痴を言うなどもってのほか、姿勢を正し、人の話を聞き、批評せず、にこやかにしていなければなりません。

しかし人ですから嫌なこともあります。 そこで私は愚痴や腹の立つことを紙に書くようにしています。 1回千字程度の文章です。 紙に何かを書くというのはこのブログ同様結構考えます。 誰が読むわけでも読ますわけでもないのですきに書けばよいのですが意外にネガティブなことは書けません。 人の悪口も書けません。 つまり人として正しい見方で反省文を書いてしまいます。 別の言い方をするとこう考えるとくよくよしなくとも良いというようなことを書いてしまいます。 初めは不思議に思いましたが、少し考えればネガティブであることで得をすることはありません。

嫌な思いは忘れるに限る、嫌な思いは自分の考えにとらわれているからでとらわれている考えを自問し、意味の無いことと断じるように書いてしまうのです。 何度もそれをしていると書いたことに自分がなろうとし、徐々になって行きます。 よく言えば自分の欠点を欠点でなくすようにする効果があることに気付きました。

少なくとも今の仕事をする上でこれは結構役に立ちます。 相手の失敗を気にしなくなり、相手の好意に感謝するようになります。 すると商談はうまく捗ります。 社内にも味方は増えてゆきます。 いいことばかりに見えますが、実はこれに気付くと同時に反省文を書くことに迷いが生じました。

ほんとにそのように自分が変わることが良いのか、もっと尖がった自分の方が自分らしいのではないか、この葛藤が続きます。 やがて何をするのもおっくうになり、偏頭痛が起こり、仕事が捗らなくなります。 イライラし、気が付けば愚痴を言ったり不運の呪い吐きながら自転車をこいでいます。

そんな日が続いてやがて霧が晴れるように楽天的になり、また反省文を書くようになります。 必死に前向いて生きることが何と面倒くさいことなのか、今しばらくは頭に霧のたちこめる日々が続きそうです。

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[習慣化]

時間管理

私は毎日やるべき項目を紙に書いていましたが、主には忘れないためで、忘れる心配のないことは書かず、忘れてしまいそうなことを書くようにしていました。

たとえば図書館で借りた本の返却日とか買い物に行くこととかです。 毎日書くのは計画性がないので週間予定項目を書くようにしました。 今週やるべきことを書き出します。

罫線のあるレポート用紙に毎日習慣にすること、習慣にする以上書く必要はないように思えますがやった時に赤鉛筆で丸を付けることで達成感があります。

これは新聞を読む、一日を振り返ってノートに纏める、ブログを書く、筋トレ、メールチェックなどです。 それとは別に今週にやり終えたい大項目をページの半分を使って書いておきます。 週の途中で新たに発生したことは追記してゆきます。

習慣にすべき筋トレは1回にせいぜい10分程度、1日2回で週14回という風になります。 たった10分の筋トレがなかなか出来ません。 部屋にいてひと段落つくと次に何をするか予定表とにらめっこをします。 つらいことは後回しになりがちです。

週間予定表上部余白には前週の活動を踏まえ反省を書きます。 筋トレのような苦痛を伴う項目ができていなければ『少しの時間を大切にする』とか『すぐに取り掛かる』とか自分を追い立てるようなことを書きます。 大きな問題に着手できなければ『優先順位を重視する』とかになります。

毎日やるべき項目に追われ、疲労感が漂ってきます。 これはやるべき項目に目的意識が欠けているからと考えるようになりました。 何のために筋トレをするのか、61歳になってプールでかっこ良くありたいなどという考えはありません。 一時期体重が増えて無呼吸症候群に陥ったから体重を落とすためにやっています。

何年もかけて減量に成功し、無呼吸も治ったようですが油断するとすぐに太って元に戻ってしまいます。

新聞を丁寧に読むのはいろいろな人と話をするための共通話題のためです。 銀行員と話をするには当日・前日の日経新聞の業界関連記事は質問対象になりますから要注意です。

しかし筋トレも新聞を読むこともどうも前向きの目標とは言えません。 筋トレはイタリアのスーツを美しく着こなすためとか新聞は次の事業展開を考えるネタ拾いとか前向きの目標がないと徒労感に陥ります。

この歳で前向きの事を考えるのはイメージがわきにくいものです。 社内で会社の将来像を作るプロジェクトをやっていますが『千年続く会社を目指す』という発想は出にくいものです。 しかし、何を考えても人に迷惑をかけるわけではないので週間予定の先に月間予定、年間予定、10年計画、30年計画をつくらねばと最近考えています。

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[人間関係]

老人の話題

今日は定期健康診断、法定されているので無駄と知りつつ避けて通ることができません。 以前よりは検診が手際よく進むので同じ検査項目でも時間は毎年短くなっています。

検診センターにつくと当社の職員が多く来ていました。 たまたま60歳くらいの人が多く、一つ検診が終わると誰かが待っていて話をします。 面白いことに話題は健康にかかわるもの、体重を落とせない、血圧が高い、最近散歩を始めた、酒を控えているなどです。

昔は60歳が定年でしたか当社は65歳、私も含めこの年齢層の人は実に元気そうに見えますが健康を気にしています。 皆さんアクティブで趣味もあり、気軽に世間話をしてくださいます。 一般の60歳過ぎの人よりずっと若々しく、元気な気がします。 「働こうという気のある人はみんな元気なんだ」と思ってしまいますが元気だから働こうという気になるのかもしれません。 ある意味で選ばれし人たちでしょうか。

しかし私の場合は数年前に会議で突然寝てしまうようになりました。 医者に相談に行くと無呼吸症候群とのこと、レーザーで喉の奥を焼切るか体重を落とすかと言われ、体重を落とすことにしました。 5年ほどかけて8㎏やせ、まだ減量中です。 途中で中性脂肪が高いのが解り、その対策でも減量を続けています。 基礎代謝が落ちたので8㎏の減量に長時間かかりました。 炭水化物を取らないようにする減量で、ご飯が好きな私としては大変つらい食事制限です。 減るほうは緩やかでも食べ過ぎると過敏に太ります。

ほかの同年代の人はそこまでの対策をしていないので立派なお腹をしています。 『きっと自分の方が長生きをするぞ!』と思いつつほかの人は気にする必要もないほど体が丈夫なのかと訝ったりしています。

そんなことで張り合うよりも趣味の話でもした方がまだましかもしれませんがこの年代の健康に対する不安は大きなものです。

一方若い職員たちは若いもの同士なりやら真剣に仕事の話をしています。 たまにこんな場所で会うのだから遊びの話でもすればいいのに、と思いますが若い人は仕事に対する不安が何より大きいのでしょうね。

新聞を読んでいると医療介護の話題に事欠きません。 それがいかに日本の経済の重みになっているか、のために高齢者は働き、年金受給開始年齢を引き上げ、と我々が経済発展を阻害するアンカーともとれる記事が多く出ています。 一方若者の勤労意欲や遣り甲斐についてもたまに新聞の話題になります。 当社職員に限り大変国策に沿った職員が多いことがわかりました。 皆が健康で前向きに働けば新聞の記事の内容も変わってくると思います。

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[習慣化]

読書

採用面接で「本を読みますか?」とよく聞きます。 読書という習慣が廃れて久しいように思います。

採用面接に来られる方は若い人が多いですが、若い人で読書が趣味と言う人は殆ど応募してこられません。 TVもあまり見ないし新聞も読まない、情報は殆どネットから、という人が多いように思います。

ネット情報はストーリー性が薄いように思います。 何がどうだった、こういうことが起こった、見た、何々はよくない等々、長い文章、物語、それは映画のような映像でもよいのですが、そういうものに触れる機会が我々の世代に比べて少ないように思います。

経営者、もしくは経営側の立場に立ちたいという応募者がいました。 経営学の本は全く読んでおられないとのこと、大学では経営学に関する学科を履修されているのですが、最近の大学ではテキストもないのか不思議に思いました。

かつてサラリーマンの時に法務の仕事をしていました。 何か問題があると似ている事件の判例を読みに図書館にゆきます。 判決の主文を読むとなぜそのような判決が出たのか理解できません。 私は法学部出身ではないので判例の味方・読み方など学んだことはありません。 しかし経験を積むうちにそれぞれの事件には裏があり、その事情を斟酌して判決が下され、主文では結論だけを簡潔に書くことがわかりました。

つまり多くの判決は長い物語があり、だから単純にこれは正しいとか間違っているとか短絡に判断できないことが理解できるようになりました。 そもそも単純に善悪や正誤が判断されるなら法廷には持ち込まれないでしょう。

日常生活でもいろいろな意見があり、行為行動・判断基準・ルールがあり、それぞれの真意を把握するには長い物語を覚悟しなければなりません。 複雑な現代社会で多くの事象を理解するのに膨大なネット情報は果たして有効かと疑問を持ちます。

私にはネット情報は長い物語を細切れにしているように思えてなりません。

たとえば為替について全く知識のない人がネット検索を繰り返してドルが円に対して高くなると判断し、ドルを買って儲かるか、はなはだ疑問を感じます。 もう少し分析する人がいて、FRBのイェレン議長のコメント、米国の非農業部門の失業率のデータ、日米欧の金利など加味して為替に手を出したとしても50%の人は得をし、後は損をする構造ですから得をする方にはなかなか入れません。

本をたくさん読んだから為替でも受けられるという保証はありませんが、為替で稼ぐより確率の高い稼ぐ方法は見つかるかもしれません。 私はネットより確率が高いと信じています。

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[生活]

老化との戦い

今日は昼間に前を通り、パンを買おうかと思ってやめたパン屋の名前が夕方、友人と話をしていて思い出せず情けない思いをしました。 人の脳は見たもの・聞いたものすべてを記憶し、忘れることがないと聞きましたが、思い出すのは老化が災いしていることになるのでしょうか?

東京常駐の取引先の方からゴルフのお誘いを受けました。 二年前まではゴルフを下手ながらしていたのですが、指を痛めてクラブを振ると指が痛くて物が掴めなくなりました。 医者に行っても治すことができず結局ゴルフを断念していたのです。 わざわざのお誘い、無下に断るわけにもゆかずこっそり練習に行きました。 何のことはない、打てば以前と同じくらいに飛びます。 まあラウンドできるかと思いました。 パン屋の名前は思い出せずとも体の動きは思い出せたようです。

しかし幾分体が硬くなったのかスイングが硬く、飛距離も幾分減ったような気がします。 私の練習方法は打ち放し練習場で素振りを少なくとも三回行い、一回打ちます。 そしてクラブを変えてまた素振り、そして狙いを定めてアドレスに入り、一回打ちます。 クラブを5本程度持って行き、各クラブ一打から三打ずつ打ちます。 素振りは15回、これが結構しんどくて椅子に座って休憩がてら本を読みます。 体が休まると同じことをして1時間で50球程度打つと帰ります。 このような練習方法が良いのかどうか知りませんが、ゴルフは止まっているボールを打つ競技ですから同じフォームで打てば同じように飛ぶものと信じてホームを固めるつもりで練習しています。

後は確率、3球打って同じところに3球とも飛ばせたら大満足です。 ボールが予定通り飛ばなければ当たりが悪いわけで修正します。 プロゴルファーの書いた本を読むと150ヤード飛ばせるクラブがあり、グリーンで2パットなら大抵のコースは80台で回れると書いていて、その方はゴルフを始めて2回目に80台で回られたそうです。 なおかつその人の150ヤード飛ばすクラブは5番アイアンとのこと、この話に大いに勇気づけられました。

今度のラウンドは残りの人生で最後のラウンド、別にお金がかかっている訳ではないので気楽に回ればよい、私が使うクラブはウッドが3本、アイアンが10本、それにパターですが、実際のラウンドではドライバー、フェアウェイウッド1本、アイアン9番、ピッチング、サンド、それにパターで合計6本ぐらいでどうかと思っています。

以前ラウンドしていた時も同じようなものでした。 よくキャディさんから「クラブをどこかに忘れましたか?」と言われたのを覚えています。 練習の時はいろいろ試してみるのですが、本数を減らすのはもってゆくのが重たいこともあります。

もう一つチャレンジしていることに英会話があります。 NHKラジオ英会話を使っています。 録音して聞いても全く上達しません。 そこでテキストを見ずにヒァリングを繰り返し、それをノートに書くようにしています。 何度か聞き込んで記憶を頼りにノートにそのセンテンスをかくのですが、集中して聞かないと聞き取れませんし覚えることができません。 実践の場では聞いて理解するだけですので実践的なトレーニングといえます。 何回繰り返して聞いてもどういうスペルの単語かわからない時があります。 その時は文脈と発音から辞書を引き、それらしき単語を見つけます。 なかなか苦痛を伴う学習方法ですが、意外に有効だと気付きました。

英会話の勉強方法は苦痛を伴うより実績的な方法が良いようです。 私の場合、紙に書くことが記憶を呼び出す有効な方法と気づきました。 『もっと若い時からこの方法で勉強してくれば良かった』と反省しきりですが、結局相手の言うことを聞いて理解し、話すことが目的ですから始める年齢が遅いなどと考える必要はないようです。 勉強は年齢と関係ないことを改めて思い知りましたが、新しい方法はかなりいらつく方法といえます。

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