監査役BLOG

会社を見る鳥の目

経営者の目線で、日々の思いやできごとを綴っていきます。

[言葉]

大丈夫

日常会話で新しい言葉が増えてゆきます。 外国語由来の言葉や長い言葉を短くした言葉、日本語のニュアンスをあらわすあたしい表現などいろいろあるかと思います。

外国語由来で調剤薬局の業界用語としてドゥー処方というのがあります。 慢性疾患の患者様の処方で前回通りの処方が出た場合、Do処方と呼んでいます。 わかりやすい言葉で『前回同一処方』などより伝わりやすいでしょう。 長いものを短縮するのでびっくりしたのが『千里中央』を『センチュウ』というのがありました。 40年ほど前に聞いて『線虫』と首をかしげたのが印象に残っています。 新しい表現では『KY』は代表的でしょう。 少し相手を侮蔑した表現のように思います。

日本経済新聞1面コラム『春秋』に『大丈夫』というのがありました。 もともと「金銭の誘惑に負けたり、権威に屈しない、志の高い男子」というのが新明解国語辞典の解説だそうです。 このような意味はすでにすたれ、何とかなるよ、ご心配なくというのが一般的使用例と思っていました。

ところが最近はNo thank you. の意味でつかわれることが多く、「・・・・は必要ですか?」、「大丈夫です」の受け答えに使われ、「いいえ結構です」という意味でよく使われます。

個人的には違和感を感じる表現で、採用面接で「何か質問がありますか?」、「大丈夫です」、「何が大丈夫ですか?」と切り返します。 もちろん私でも「質問はありません」という意味は理解しますが、採用面接はいわばオフィシャルの面談でまだスラッグの表現を使われると違和感を感じます。 それ以外の会話はスラッグを排除して受け答えしているわけですから「徹底しろよ」と思ってもうなづける人はたくさんいると思います。

言葉は生まれて市民権を得て、オフィシャルでも使われるようになるわけですから正確な会話を必要とする場面では使わないようにすべきと思います。

もし「おれはそのような既成概念にとらわれず生きてきたし、これからも生きてゆく、その我儘を通しても貢献できる人材と自己評価している」ならすべての表現に自分の言葉を使うべきで、そのように思っている人の会話を漏れ聞くと私などは外国語の話かと思ってしまいます。

言葉は時間とともに洗練されていくもので、KY等は時間の経過とともに消滅する言葉のように思います。 人を蔑み、暗く陰口を言うようなニュアンスを感じるので決して生産的ではありません。 空気が読めないと言われている人の中には正しい主張をする人もいて、それをKYと無視するなら正しいことを言う機会は減り、みんながにこにこと当たり障りのない会話に終始することになるかもしれません。

我々の年代であれば周りの意見に反して自己を主張する人に敬意を払い、それが的外れであれば『唯我独尊』と表現したりします。

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[社会]

デフォルト

デフォルトを直訳すると債務不履行、債務は平たく言えば借金ですから借金を返せなくなる状況を言います。 国債の発行残が2014年末に769兆円、2023年末には1千兆円と予測される中で新しい年度の予算は93兆8823億円、税収予測約50兆円、残りは国債の増発になります。

国の借金は国債以外にも種類があり、国債を含めた総額ではすでに1千兆円を超えています。

私は政治や経済の専門家ではなく、まして将来予測は学者でも難しいでしょうから私に解るはずがありません。 しかしよくあるたとえ話として、ある一家の年間総支出が1千万円、年収は500万円、銀行から500万円弱を借りて暮らしています。 銀行の借金は1億円というのが大雑把なたとえでしょうか。

もちろん年収500万円の人に銀行は1億円も貸しませんが、この人の父親が銀行の頭取なら可能性はなくもありません。 しかし銀行は節約して支出を抑えるように説得するでしょうね。

現政権は中央銀行(日銀)による国債引受で市中に出回る資金残量を増やし、円安にして輸出を増やし、企業利益を上げて税収を増やし、インフレを達成するという政策のようです。

しかし円安になれば輸入品が値上がりし、貿易収支は赤字を計上しています。 赤字による損失は電気代やガス代で生活や工業生産のコストに転嫁されます。 広くあまねく負担されるという点では消費税率を20%くらいに上げた印象でしょうか。

これら一連の政策展開と結果について批評する立場にありませんが、誰かが評価を下し、評価に応じてアクションを起こすことになります。 マーケットにおけるアクションは時代を先取りしたものですから、動かしやすいものから早く動くことになります。

一番動かしやすいのはお金、そしてその予測は投資家、特に株・為替などのマーケットでの投資家が行動します。
昨日の日本経済新聞朝刊の楽天ブック第一位として掲載された書籍はカイル・バス氏の『あと二年で国際暴落、1ドル250円に!!』というものでした。

このような風説(ひょっとして正しいのかもしれませんが)で多くの人の不安心理はあおられるでしょう。 同じ朝刊にBRICsを命名した意義率エコノミストのジム・オニール氏の論説が掲載されていて、日本経済に以下の解説がありました。

「円安が進んだ昨年は楽だった。 今年は簡単ではない。 安倍晋三首相は第一の矢(の金融政策)は忘れることだ。 これ以上の円の下落を、他国は受け入れない。 第三の矢となる女性活用、労働供給力の強化、生産性の向上に真剣に取り組まねばならない。 安倍氏は強い言葉こそ発しているが、実行する証拠はない。」

二人のエコノミストは矛盾していますが、オニール氏は地道な産業立国の努力をしなければ経済再建はあり得ないと言っていると思います。 ヨーロッパではイギリスでサッチャー氏、ドイツの最近の政策はこのような地道な政策で経済再建を果たし、それを目の当たりにしてきたエコノミストだと思います。

一方、投資家のバス氏はこのような地道な努力は日本の風土して無理と評価しているのか、今更遅きに失したと評価しているのか、結果の予測をしていることになります。 つまりは二人の評価に大きな違いはないと思われます。

私と同じ評価をする人は海外に資金を持ち出したり、多額の借金をしてハイパーインフレで目減りを狙ったりするかもしれません。 何と言っても日本で一番借金の多いのは日本そのものですから。

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[人間関係]

人の気持ち

会社には様々な人間関係があって、混然一体となって組織が動いています。 組織が上手く機能している会社は業績もよく、訪問すれば大変気持ちよく応対してくれます。

それはひとえに幹部、大抵は社長の生き方、価値観で決まると思います。 予期につけ悪しきにつけそれが社長の役割です。 もちろんそれだけで業績の良し悪しが決まるわけではありませんが、大変重要なことだと思います。

そこでの人間関係は恋愛感情に似ているのかと思います。 恋人同士は何らかの惹かれるものがあるから関係が成立しているわけで、とりあえず恋人とかたまたま恋人とかではありません。

会社に帰属する人もとりあえず社員やたまたま社員ではないと思います。 就職難だったので取敢えず勤務しているとか、たまたまハローワークで見つけたとか、しかし嫌なら辞めることは可能で、当社の職員の殆どが中途採用、転職に抵抗は大きくないはずですから勤めてみたら勤めてよかったというところでしょうか。

会社への帰属意識や会社の本人への期待といったものが絆になっていますが、絆を深めることがあります。 絆が深まるとその人は全霊をかけて仕事に打ち込みます。

それは本人が悩んでいるとき、本人が困っているとき、私としては当然と思えることを行ったわけですが、その人は深く感謝し、仕事に私のために全霊を傾けます。 そのような人の気持ちに鈍感な私は第三者の人に「彼は社長のために働いているのですよ」、「いやいや自分の人生があるでしょう、人は自分のために頑張るものでしょう」と間の抜けた話になります。

では自分が当然と思い、相手がそのように思うまでのこととは一体何か、たわいもないことで相手の困っていることをさりげなく解決してあげること、相手が期待していることを感じて対処することでしょう。 相手は自分の置かれた状況を私が知っているはずと思っています。 だからわざわざ口に出して言わなくてもさりげなくやってもらえればうれしいということです。 うれしさはやってもらった行為の大きさではなく「さりげなさ」、つまり共感できるものを持っているとことにパイプがあるのではないでしょうか?

私が求めに応じて同じ行為をいやいやすれば相手は多少の感謝はしても感動はないでしょう。 今の若い人、特に当社の職員はさりげない心配りに大きな価値観を持っているようです。 鈍感な私にはつらい話ですが。

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[採用]

社員採用

当社は規模拡大局面にあり、社員の採用を繰り返しています。 もちろん今までも採用は私の仕事として行っておりました。 採用した人の殆ど全員が中途採用で、年齢も10~68歳の人で、経験された職種も様々です。

珍しいところでは海外を放浪していた人(職業ではないですが)、プロボクサー、音楽関係者、高年齢の人では大会社の部長職だった人などです。

営業職なら10人面接して1人採用のペース、学歴・経験不問で来る人拒まず面接してきました。 これはなかなかつらい仕事です。 何のために面接するのか、採用するためか落とすため(選別するため)なのか、悩みます。

こんな時に思い出すのが踏切のたとえ話、踏切は人を通すためにあるのか人を通さないためにあるのか、自分の気持ちのバランスが取れているときは『踏切は人を通すためのもの』になります。

よっぽど疲れていない限り一人の面接に1時間以上かけます。 即興で質問を繰り返し、何とか応募者の本質に迫ろうとしますが、なかなか見えてきません。 過去に何人か会った瞬間にこの人がほしいと思うことがあり、採用できて活躍されていますが、今幹部になっている人はどちらかと言えは面接ですっきりしない印象のままに採用した人がおおく、うっかり本人に行ってしまって何人かに根に持たれています。 採用したくないと思った人でもなぜ採用したくないと思ったのか自分が納得するまで質問を繰り返し、その感想をそれとなく本人に伝えるようにしています。 せっかく面接に来られたのですから今後の就活の参考になればという思いと、私自身の納得のためです。

この負担を軽減するために現在は応募者の多い職種は書類審査をはじめました。 書類審査は雇用機会均等法が施行されてから募集条件に年齢、性別などを付けられなくなったことにより、採用側が選別のために設けた制度だと思っています。 雇用機会均等法にも功罪がありますが、若い人や女性が良い仕事もありますし、高齢者や男性でないと困る仕事もあるわけで、主管する厚生労働省も理解しているはずです。 ほんとにどんな人でも良いと思うなら厚生労働省の職員は抽選で決めればよいことになります。

さて、本題に戻り採用で難渋しています。 誰でもよいというポジションなどありませんのでできるだけ最適者のイメージをつくり、応募者にも伝えますが理解されません。 言葉が多くなると応募者で理解できた言葉や都合の良い言葉をつないで勝手にイメージを作っている人もいます。

イメージ通りの人が来なければエイ、ヤーで決めてしまいます。(採用に期限はつきものなので) と言ってもそれなりの適正があると思われる人を選んでいるわけですから後は教育になります。 まず個別の仕事のイメージを伝え、実際にやらせてみます。 具体的なやり方は教えないようにします。 うまく仕事ができなければ調べ方を教え、自分で調べさせます。 それでもうまくできなければできる方法を教え、それでもうまくできなければその人に教える関心を失ってしまいます。 そうなればまず二度とその人が一人前になることはないでしょう。

人を教えるのは難しく、教えることが身につくのはその人が学習して初めて身につくもので、教えて身につくとはとても思えません。 今ひとり指導している人は優秀な人なので毎日議論します。 そして好きなようにさせて、実績が上がらなければなぜなのか二人で検証します。 『自分ならこうするのに』という思いはいつも付きまといますが、そうすることでその人より良い実績があげられるか実験しないとわかりません。 日々が自分にとっても成長の機会と修業の場です。 真剣勝負は疲れます。 時々得意の屁理屈でけむに巻いて溜飲を下げますが、議論するのは実績を上げるためで新人をやり込めるためではありません。 最後はその人を信頼するしかないのです。

経営者のつらさは何でも他人にやらせること、自分でやるほうが良い結果が出やすいと思っても他人を使ってより良い結果を求めるのが経営者の仕事ですからどんな人でもスイッチを入れ、やる気にさせ、実績を上げ続けなければなりません。

成功の秘訣は明確なビジョンを共有すること、それはよくできたビジョンであること、そして相手をほめることでしょうか。

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[採用]

事務職

事務職の求人を行っています。 仕事内容は当社の企業規模がまだ小さいことから総務・庶務・経理・人事の管理部隊要員です。 羅列した大括りの業務はそれぞれがそれなりの専門性をもち、オールラウンドにこなせる人の組織を作ろうとするものです。

応募してくる人は経理業務に着目して簿記検定を受けた人が多いです。 学歴・資格は不問ですが、事務職を希望する人は資格取得に熱心だと思いました。

応募者本人は事務職のイメージが机に座ってする仕事で、専門性が高く、社内外での折衝は少ないもののようです。

求める人材は机に座っている時間は営業より長いですが、専門性は多岐にわたり、社内外の折衝は多いので交渉力は求められます。 座り仕事で専門性が高ければ高い集中力が求められます。 多岐にわたる専門性とは、例えば株主総会が終われば商業登記が必要になりますので、登記の実務が必要になります。 どうやって登記するのか全く知らなくてもいいのですが、一番困るのは自分の仕事と認識しない人です。

日商簿記1級をもっているので「私は経理業務しかしません」と言い切るようなことになります。 そもそも自分の仕事を自分で限定できるのであればもはや組織ではありません。 当社には業務分掌・職務分掌権限規定などとと言った気の利いたものはありませんので、何か解決しなければいけない課題が出てくれば、その課題をこなす明確な社内組織がなければすべて今回募集する総務経理人事の組織が請け負うことになります。

先日あったことですが薬局のシャッターの修理が必要になりました。 どこか修理業者を探さなくてはなりません。 私が工事業者に電話して見積もりを取ることになりました。 巻き上げるモーターの劣化が原因でうまく巻き取らないとのこと、モーター交換の見積もりが約2百万円、シャッター本体を変えるとその2~3倍のコスト、そのまま修理でおさめようとすると本体の一番下が錆びてきているとのこと、交換するなら入れ替えるということになりました。

工事業者が下請けのシャッター専業業者を変えて見積もりを取ると約1/3に金額が下がりました。 こういった交渉で大きく費用は下げられますが、交渉としては難しいものとなります。 なぜなら専門知識がなく、相見積できる先もありません。 今回改修対象となるシャッターは重量シャッターと呼ばれ、堅牢で防火性に優れているものだそうですが、対応年数は20年前後になります。 つまりはシャッター工事の頻度はユーザー側からひくいことになりますし、それだけ情報は少ないわけですから、相場観を持てません。 もちろんネットで調べることは可能ですが、ネットの情報は限界があります。

このようにそれぞれの業務に専門性があり、経験が豊富であることも重要ですが、すべての業務を経験できているわけではありません。 また昔の経験が上手い処理を邪魔することがあります。

では何が求められる力かと言えばいろいろなことに好奇心を持つこと、質問力(本質に近づく感性をもった疑問と言葉にする力)が大きな要素になると思います。

面接では最後に私個人や会社全般について質問を求めます。 何に関心をもったか、それをどのように質問したのか、を見ます。 ある応募者が「社長は魚と肉とどちらが好きですか?」という質問を受けました。 その応募者は不採用になりましたが、なぜ採用面接でそのような質問をしたのかいまだに思い当りません。

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[プライベート]

久しぶりに夢を見ました。 この話題は経営ビジョンという意味ではなく、単に睡眠中に見た夢です。

私の弱点の一つが方向音痴ですが、今回の夢はこれがテーマになったようです。 素人夢判断ですが、この夢を見たのは前日あるビルから出て隣のビルに移動するとき、方向が分からず同行した人に教えてもらったことにが原因のように思います。

夢の中
私は家からバスに乗り、会社に出勤するつもりでしたがいつもの駅で降りずにそのまま乗り続けていました。(私は通勤でバスに乗ることはありませんし、バスで移動する距離は自転車で移動するのでバスに乗ることは皆無に近いです)
バスは郊外に向かって進み、バス道の横には鉄道が走っています。 景色は山の中、不安になってバスを降りて鉄道で自宅に戻ろうとしました。 天王寺区からバスに乗ったのに降りたのは中部地方の県のようで、鉄道の上りは静岡県方面、下りはどこに行くのかわかりません。 窓口で切符を買おうと駅員に「天王寺に帰りたいのですが・・・」と言っても通じず、もたもたしていると列車が来て発車しました。

困って駅にいた客の一人にいろいろ聞いても意味が通じず、話をしているうちにまた列車が来て発車してゆきました。 途方に暮れていると時間が経過してまた列車が発車しました。 列車に乗れないのなら乗ってきたバスで戻ろうとしましたがバス停は見つかりません。 そこで目が覚めました。

寝汗をかくような恐怖に満ちた夢ではなかったのですが、目覚めた時も徒労感で自分はどこにいるのかさえ判りませんでした。

最近の仕事では確かに徒労感にさいなまれています。 理解しがたい職員の主張への対処や情報が不足している中での情報収集、職員の期待外れ、正解のない判断業務等当然ながら訳の解らない問題は自分の仕事と考えれば対処せざるを得ません。

何かを成し遂げ、判断し、職員にうまく任せて状況が改善するなど結果が伴えば達成感があります。 達成感のない仕事は昔の捕虜に対する徒労感ある作業、例えば井戸から水をくみ、バケツに移し、元のバケツに水を戻すことを繰り返す、水がこぼれてなくなれば井戸からくみ上げる、この繰り返しを一日やるような話です。

結果がすぐに見える作業は幸せです。 私のように結果がすぐに見えない仕事を続けていると、つまりはすぐに取り掛からなくてもすぐに問題が大きくならず、しかし時間が経てば問題は手が付けられないほどになってしまう、うまく対処しても何事もなかったように日々が過ぎてしまい、称賛されることのない仕事の連続、これは拷問の一種ではないかと思います。 多くの経営者は孤独の中でこの葛藤と闘いながら日々を送っておられるのだと思います。

寝るときに『明日の朝、目が覚めるのが楽しみだ』という一説が本の中にあり、仕事で苦労している職員が『あり得ない』と言ったのは印象的でした。
私と同じように彼は苦しんでいるのだと思うと程度の差はあっても皆が必死で仕事をしているのだと実感できました。 しかし、せめて夢では私を慰めてほしいという私の魂の叫びは聞こえてきました。

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[会社運営]

人の評価

会社経営で難しいことの一つに職員の評価があります。 人にはそれぞれ価値観があり、当社のような中小企業でも気にしたり、評価に不満を持つ人がいます。 不満を持つ場合は自分の評価が低いと思うか、評価の仕組みに納得がいかないかいくつかに分かれます。

評価が上がれば昇進するか昇給するかになりますが、中にはどれも気にしない人もいます。 昇給しようが昇進しようがどうでもよく、自分の仕事をこなすタイプの人です。 しかし昇進すると責任範囲が大きくなり、行使できる権限も大きくなります。 当然収入も増えます。

人は権限が増えたり、昇給したりすると価値観が変わる場合があります。 今までと違ってお金の使い方が派手になったり、威張ってみたり、自らの責任を部下に転嫁したりなどです。 困ったことで、その教育までやらなければならないのかとうんざりします。 挙句の果てには役員であることをよいことに突然と自らの年収が増えるよう誘導する人もいます。

採用の判断では品格などよりスキルなどを重視しがちです。 あくまで誠実であることより早く高い実績を上げられるか、現場の管理職による面接ではそこがポイントになりがちです。

そもそも善悪の評価は人によってどのような環境に置かれても善人は善人、悪人は悪人、と色分けできません。 中には生まれながらの人もいますし、幼年期の教育も大きな要素でしょう。 そもそもそんなことは採用面接でも人事の評価でも見抜くことはできません。

大企業は基準を作り、不正を排除するようにしますが、社内いじめなどは基準を作り運用することが難しいのが実態です。

実務において悪なり善はすべて人の行為の中にあるわけです。 いくら極悪非道なことを考えていても行為、行動、発言に現れなければ罪ではありません。 しかし考えるからいずれかの時期に行為行動に及びます。 政治家の失言などもまさにそうで、「女性は子供を産む機械」と発言した自民党の幹部は役職を追われましたが、現在主要なポストについています。 そんな発言の裏には言葉に出せない多くの考えを持っているのでしょうが、政治家としての品格は問われますが、政治の世界ではそのような思想が有効な世界なのでしょう。

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[会社運営]

損を嫌うと損をする

日本経済新聞にタイトルの記事があり、面白いので紹介します。 タイトルの意味するところは株で高値掴みをし、せっかく値上がりした株を値上がり直後に売ってしまい損をしたり儲けそこなったりすることです。

なぜ合理的に儲けようとしないのか、次の二つの心理が解説されています。
①人は損をすることを、とても嫌う生き物
②人は利益が出ているときに確実性を好み、損をしているときは賭けに出たがる
つまり損失を受けることで感じる心の痛みは利益の喜びの二倍以上というものです。

これを企業経営に当てはめてみると①は新規事業で損失がとどまらず、経費特に人件費をけちって優秀な人材を失う負の連鎖に似ています。 ②は利益が出ている事業に投資をして利益を大きくしようと欲張って過剰投資になるのが似たケース、結局損をしてしまう例が多いと思いますが、損をしている事業に対して早期撤退を取りたかります。

以上のように個人の行動と企業の行動が必ずしも当てはまらないように思います。

会社の職員と株の話をしていて、それが儲けた話で『よかったね』と言ったら『それだけリスクをとりましたからね』と返されました。 事業の収益構造はリスクと比例するように思います。 高齢者介護事業でも施設事業は良い例だと思います。 一般に住宅系高齢者施設の損益ラインは80%稼働と言われてきました。 あくまで平均値です。 仮に100%稼働すると20%分は利益、50室の施設で20%は10室、1室15万円の粗利であれば10室で150万円の粗利になります。 経費はほとんど増えませんから150万円の粗利はほぼ経常利益に近くなります。

逆に稼働率60%であれば毎月150万円の赤字、この落差が大きいです。 全国の平均稼働率が80%前後ということですから施設経営のリスクは高く、その分高稼働の利益は大きくなります。

このような不動産絡みの投資額の大きい事業は好まれるのかすごい勢いで高齢者施設の建設が進んでいます。 今のところ顧客が増加していて大きなリスクに見えないですが、高齢者の絶対数が増えなければ稼働率は下がる一方です。 そもそも高齢者施設はぜいたく品ではなく生活関連ですから需給関係が崩れると全国一斉にリスク発現になりかねません。 持ち運びもできないので最終的に損失はかぶらざるを得ません。 逃げられざるリスクであることがやっかいさに輪をかけています。

私はこのような需給関係に寄り添うビジネスはあまり関心がありません。 しかし施設を始めた介護事業者は利益が出ていることで高級車に乗り換えたりしています。 リスクは貯めることも発生時期を遅らすこともできません。 自然災害と同じでこうむったらあきらめざるを得ません。 儲かっているうちに事業譲渡するか、儲からなくなった時に損切り出来ずに赤字をため込むか初めの個人の行動パターンに似てきました。

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[価値観]

復讐の連鎖

ある社長と自らの会社職員に対する感情について話をしたことがあります。 その人は若いとき大変やんちゃな人で、高校も中退していましたが、私がお話しした時は一見温厚な人に見えました。

「そら私も人間ですから嫌な奴もいますよ」、この件に対する発言はこれだけでした。 つまり好き嫌いはあるもののそれをおくびにも出さず社業に励んでおられます。

その人が別の機会に「会社の方針に従わない職員にはどうするのですか」、「研修に参加させます。 とても面白くない研修で、早い話が会社を辞めろと言うことですわ」、社の方針に合わなければやめてもらうというのがその人の考え方です。

大企業ですからそんな研修システムを使うことができますが、当社ではそんな研修システムを持っていません。 そこでイライラが募り、「どうしてくれようか」と思うようになります。

いらいらが募る社員は①会社の考えと合わず、身勝手な発言や行動を行う人(職員の話は聞くようにしていますが、自ら責任をとれないことを周囲の人間にしゃべる人、主に会社の悪口。 どこの企業にも問題があり、まじめな経営者は法律の範囲で、時には人情も織り込み、問題の解決にあたっています)、②会議では発言せず、決定事項と違う行動を勝手に行う職員(いわゆる従面腹背)、③もっともらしい理屈で常識はずれの提案をする人、④人の言うことを聞かない人(反論もしなければ従いもしない、非生産的な人)等など言えばきりがありません。

経営者向けのセミナーで職員を四つのカテゴリーに分け、どれが一番辞めさせるべきか、という問いがありました。 優秀・無能対会社の方針に従う・従わないの掛け合わせで、講師は優秀だけれども従わない組み合わせの人が最優先で辞めさせるべき職員としていました。

この話を聞いたとき、優秀で会社の方針に従わない人は話し合えば使い道があるのではとおもいましたが、最近は講師の判断は正しいと思うようになりました。 もちろん優秀でなく会社の方針に従わない人は言うまでもなくやめてほしい人材です。

昔は講師と同じ発想で、話し合ってやめてもらった人もたくさんいます。 そもそもそんなに会社の方針を良しとしないのであれば会社は居てほしくありませんし、本人も自分の考えと会う職を探せばよいわけですから。

多くの善良な職員の中にも会社の方針と違うことを平気でする人がいます。 その人には具体的に何が方針に沿っていないのか説明し続けることが必要だと思いますが、朝初めて会えば挨拶をするとか、今日に完了しなければならない仕事は残業してでも完了させるとか、社会常識の範囲のことを言わなければなりません。 それは説教好きでない経営者にとって大きな苦痛です。

思い込みもあります。 賃金の水準が低いと勝手に思い込む人です。 賃金相場は各種統計が出ていますが、同職種の人と比べて公平に賃金が決まっていても少ないと思い込む人です。 これもそんなに自分が優秀と思うなら別の職を見つけるべきです。 もちろん賃金の決め方が完全ではありませんので若干の不公平があるかもしれません。 しかし概ねストライクゾーンを外していないと思います。 大抵はその友人が自分より高い給料をもらっているとかです。

しかし一番たちが悪く、問題なのは悪意のある行為・発言を隠れて行う人です。 このような行為発言はいずれ私の知り得るところとなりますが、憎しみを抱いても仕方ありません。 十分話し合い、それなりの処断をすべきです。 その時一切の感情を排除し、決定することが経営者の真価と言えます。

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[生活]

元旦の計

新年、おめでとうございます。 晦日は四天王寺にお参りに行き、人出の多さにびっくりしました。 前年の晦日にお参りに行ったときは中国人観光客が多く、境内では中国語が飛び交っていましたが、中国人に人気がなくなったのか昨晩は日本人が多かったように思います。

除夜の鐘をついたり、本堂に入れる順番待ちの長蛇の列が境内を取り巻いていたのは印象的でした。 午前零時、境内から見えるハルカスの窓に新年のメッセージが表れると歓声が上がっていました。
す個人的には昔から新年に特別の思い入れはなく、祝う気持ちは希薄でした。

しかし、晦日に恒例となったボクシングのタイトルマッチが今年は4試合行われ、一年が終わり、新しい一年が始まることを実感しました。 ボクシングファンにとってレベルの高い試合はTVで見ているだけでアドレナリンを実感できて、興奮状態になれます。 60歳を過ぎて尚、贔屓の選手のパンチが相手にヒットすると勝手に心拍数が上がってきます。

元旦は比較的暖かく、日の出は見られませんでしたが『一年の計は元旦にあり』を思い出し、いろいろ考えましたが今更新しい計が浮かぶわけでもなく、今年も誠実に仕事に取り組もうという思いがよぎりました。 誠実に仕事に取り組む生き方がいかにも地味で、わくわく感もありませんが、人としてそのように生きられることが幸せであるように思います。

今年も沢山の人に出会い、たくさんの人に自分の生き方・考え方を評価され、「あいつは地味だ、面白くないやつだ」と言われながらこの一年を過ごすことができればと思います。

私にとって地味な生き方はのんびり過ごすわけではなく、仕事の課題を考え抜き、自分ができることを一つずつ確実にこなすことです。 この一年もそのように過ごし、仕事でも人としても成果を上げることができまし。
たゆまぬ努力は高い精神性が求められ、地味であるだけに倦むこともありますが、基本に戻り、挫けそうになった時は目標を再確認して他人に求めずということでしょうか。

その姿勢を乱すものは怒りや憎しみ、私の周りにいる人がこれらの障害を乗り越え、孤独に耐えながら同じ心境で精進している人が何人かいます。 皆自分の子供の年代の30歳の職員ですが、弱音を吐かず、自慢せず、要領をかまさないで気が付いた時に大きな実績をあげている姿に感動し、心洗われる思いです。 60歳を過ぎてやっと気が付いた時、「おれには伸び代がある」と思うことにしました。

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